先生からアリトメと一緒に学校に来るようにと言われた。それから毎朝アリトメの家に寄ってから学校に行っくことになった。
アリトメはアパートっぽいマンションの3階に住んでいた。インターホーンを押そうとすると、家の中から母親らしき声がする。「お腹痛いのはウソなんだろ!早く起きないと学校に遅れるよ。」
その後家から何か物を投げたような大きな音がする。
インターホーンを押す。アリトメの兄貴が出てきた。僕は「一緒に学校行こうと思って。」
遠くから母親の声がして「お腹が痛いっていっているのよ。ごめんね。」
しょうがなく僕は一人で学校に行く。「アリトメはどうしている?」と先生に聞かれる。
僕は困ったような表情を作った。先生が、「帰りも寄ってあげ、ろ。」
半ば命令口調で言われた。
学校帰りにアリトメの家に寄る。インタホーンを押すと、天然パーマのアリトメが出てくる。
「お前何やってんだよ。なにズル休みしているんだよ。」などと言う事は言わない。
アリトメの家にあがり一緒にスーファミをする。会話はない。アリトメの母親もいない。
午後5時半になると僕は家に帰る。6時になるとアリトメの母親がパートから帰ってくる。
アリトメは4人兄弟らしい。僕は兄貴は見たことがあるが他の兄弟は見たことがない。オヤジはタクシーの運転手らしいが見たことがない。母親も聞くのは朝の声だけでほとんど顔を見たことがない。
朝迎えに行くと、時々アリトメがカバンを肩にかけて出てくる。一緒に学校に行くつもりで歩くが途中の舗装されていない小さな石ころが転がっている砂利の駐車場で道草をする。
6時間ぐらい道草をする。ミーラ取りがミーラになって僕も学校をズル休みする。
殆ど会話はなく地べたに座りアリトメはカバンからエンピツを取り出してノートに絵を書き出す。僕は、カバンに入っている世界地図を広げて世界中の首都を覚えたりその国の景色を想像する。
未だに世界で2番目に長い首都のバンダルスリブガワンを覚えているのはそのお陰。まだ何の役にも立っていない。
午後3時ぐらいになってゲーセンに行く。カツアゲをしている悪いヤツがいる。「何をしてるんだ?」と僕らは声をかける。カツアゲしているヤツは意表を突かれたのか少々怯む。相手の胸倉を掴み「金を返してやれよ。」
カツアゲをされているヤツを助ける。カツアゲされてた人が「お礼です。」と言ってお金をくれる。「いいよ。いいよ。」と言うが貰えるものは貰う。
3ヶ月後アリトメは転校した。
その後、噂ではアリトメ一家は心中をした。子供の噂であてにはならない。梅雨に沢山咲く紫陽花を見てアリトメが駐車場で言った一言を思い出す。
「紫陽花って沢山咲いていると色がキモイな。」
彼が小学生の頃描いた沢山の紫陽花が咲いた沢山の色を使った絵は文部大臣賞を取った。
アソシエイト・プログラムというのがあるんですが、簡単に説明しますとサイトなどで紹介した商品に貼られたリンク経由で商品を購入すると紹介した本人にマネーが入ってくるという大変いやらしい内職みたいなものです。
しかしこのままでは本当にいやらしい人間なんで、もしこのサイト経由で本を購入されて僕にお金が入ってきた場合は、何らかの形で全額皆さんにプレゼントしたいと思っています。例えば抽選で図書券をプレゼントするなど。まあこのサイトから買う人はいないと思うので、抽選方法などのことは"そう"なった時に考えます。けっして競馬などには使いません。よ。
アソシエイトプログラムは有名所で
Amazonと
BK1があります。
ってことで本とかCDを紹介しないと意味がないんですが、別に紹介するような本がないんですね。第一今僕が読んでいる本は「
藤沢周平のすべて文春文庫 」とか大変地味なもので。他の作家さんや生前の知人などが亡くなった藤沢周平氏へお悔やみを書いた本なんですが、好きな人は好きな本だと思うんですが、こんなもん一般的には売れないので、
ビストロスマップからだにい... とか。いや、この本は僕は持ってませんけど。
non-noとかの雑誌はダメなの?
can camだっけ?モデルがかわいい。いいなー。森泉さんっていうモデルは森英恵さんの子供だったかな?鮎川なおみさんとか反則だね。山田優さんっていうのは、すごい水着で化粧品のCMでてる子。こんな子が近くにいたら目がチカチカしちゃって人間ダメになるね。っていうか本よりも詳しい。これらモデルはアマゾンで売っていないんですか?売っていても2億円とかしそうです。
CDでもいいらしいですが、どんなCDがいいんですか?
取りあえず
アマゾンへのリンクを貼っておきます。さあ皆さんアマゾンから購入して僕の馬券代金を捻出して!じゃないじゃない。とバカは置いておいて、まあ暇つぶしにいろいろ考えた結果がこうであります。
皆さんのサイトでもアソシエイトプログラム(
Amazon/
BK1)という舌を噛みそうなものを貼ってあなたの好きな物を皆に紹介してみては如何でしょうか?使い方によっては本当に素敵なものを共有する便利な機能になりそうですよ。
▼笑福亭鶴瓶さんがポロリとt.A.T.u.のニュース同様取り上げてもしょうがないんですが馬ということで。
全国的に話題の競馬で二億円というニュース。
バブルの時代、配当金は億を超えるということはよくあった話だそうです。50万円とか掛けるのは当たり前でしたからね。大口で馬券を買われる方は場外で購入する方が多いそうです。
八百長とかそのような話しもでていますが、八百長でも当ててナンボの世界。八百長まで予想するのが競馬です。あと今の競馬ファンは目が肥えていますので八百長はほぼ無理ですね。
しかしいくらなんでもこの二億円的中の情報が漏れたのは問題。こういう馬券を買う人は当ってもハズレたという人だと思いますし、誰が洩らしたんでしょうか?これだけ話しが大きくなると的中した方は、1枚800万円の的中馬券をバラで払い戻したとしても税金約3000万円は払わないと…。
確かにいらっしゃったのですが、「いらっしゃいませ。」と声をかけられるのが恥ずかしい。
競馬場でも制服に身を包んだ若い女の子が「おはようございます。」と出迎えてくれるんですが、そのようなことを言う人とは目を合わさないようにしています。
最近になって「いつもありがとうございます。おはようございます。」
「いつも」がつくようになってしまいました。
一度勇気をだして「おはようございます。」と言い返したらお姉さんがびっくりした顔をしたのでさようなら。
競馬場は無愛想であるべきで、カップルで来ようものなら、睨みつけてやるぐらいでいいと思うんです。カップルで馬券を当てようものなら…羨ましい。
過剰なサービス、ストーカーのように店員さんに見られているのではその店からすぐ出たくなりませんか?
僕も接客業をやったことがあるんですが、「いらっしゃいませ。」と大きな声で言う時はこんなに私は頑張って仕事をしているんだ!と周りにアピールするための「(自分自身に)いらっしゃいませ。」
これがお客側になると買う気もないのに「いらっしゃいませ。」と言われたら後ろめたさが残りそのお店にはいずらくなります。
これは好き好き好き好きと言われると厚かましくなり嫌いになるのと同じこと。逆に嫌いぐらいの勢いがあった方がいいのかも知れません。
嫌い戦法がどれだけ有効なのかは、中央道相模湖IC近くに「日本一不味いラーメン」という看板を掲げているお店とその隣に「日本一美味しいラーメン」と看板を掲げた2つのお店があります。
いつも混んでいるのは「日本一不味いラーメン」の方。日本一美味しいラーメンはお客が一人も入っていないことも。
両方のお店に入ったことがあるんですが、「日本一不味いラーメン」の方はその謳い文句に負けないぐらい看板に正直な味でした。
去年亡くなった親戚のおじさんの父の遺言では「遺骨は海へ」ということだった。
しかし残った者は、お線香をあげられる場所に置いてあげたいもので遺骨を海になどということはできない。でも遺言を尊重することが供養ではないかという話しにもなった。
いつまでも意見がまとまらず家に置いておくのも気味が悪い、また成仏できないであろう。そこで両方の意見を取り入れて遺骨の半分は海へ、残りの半分はお墓に、ということになった。
「海に誰が蒔きに行く?」
僕の父が、釣りが趣味だという話しになった。「どうせ魚の餌になるのだから。」
あまりにもの話しだが、おじさんの父親とはまったく血の繋がりのない僕の父が釣りに行った時に船の上から遺骨の半分を東京湾に蒔いた。
この「遺骨は海に蒔いた。」という話しを聞いたのは、魚を食べちゃったあと数日経ってから。魚を釣る前なのか釣ったあとに蒔いたのか、誰も聞かない。
■22:39
父に聞いてみたところ、最後に蒔いたそうで、これでぐっすり眠れます。
まあ釣る前に蒔いたとしても食物連鎖ということで諦めていました。もしかしたらあなたが今晩食べたお魚が!
ということでお悔やみ申し上げます。
西城秀樹さんが倒れたのは食わず嫌いのせいじゃないんですか?
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家族でクイズ$ミリオネアを見ていたら母が、「私は、Dのダダライオサム。」
耳を疑いました。ダダライ?もう一度リピートアフターミー?
「ダザワイオサム。」
ちょっとかえました。
お母さんそれは違います。けどここで正解の「太宰治」の読み方を教えてしまうと教育にはなりません。
算数でも、最後に○○個とか○○kmとか単位をつけないと三角になってしまいます。ひどい先生なら不正解。ひどい愚息は答えを教えません。
もうクイズ$ミリオネアの答えなんてどうでもいい。たぶん母の答えは違っているけどどうでもいい。僕はダダライオサムが気になるんだ。彼はチベットの人ですか?
「ほら、走れメロスを書いた人。」と家族みんなでヒントをちらつかせる。
母は、「分かっているんだけどね。ほらでてこないのよ。」
えぐり出してください。さらにヒントを、「人間失格を書いた人。」
「あ!分かった。」
良かった良かった。助かった!早く正解を言ってくれないとこっちが気持ち悪いのです。
「ダザイオーザムでしょ。」
助っ人外国人の方ですか?なんで苗字が当ったのにお尻が変わるのか。
そしてそのクイズの正解は夏目漱石でした。
「あ!やっぱり漱石か!ワレワレはネコであるを書いた人だよね。」
僕が自殺していいですか?
知らぬが仏。クイズにハズレた人間のほうが人生では勝ちということを今日学びました。
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100グラム1800円の肉を買いました。焼き方を失敗してマイナス1500円ぐらい。
自販機で缶ジュースを買ってお金をぴったり入れたにも関らず今日もつり銭を確認してしまいました。
ぴったり入れたのでつり銭は無くて当たり前なんですが、がっかりしている自分にがっかり。
父は「オレは自販機の下の隙間まで見るぞ。」
人にはそれぞれ癖というものがあります。人には言えない癖。無意識な癖いろいろあります。
電車の中で隣の席に座ったおばちゃんが何やら不審な動きを。首を振らずに横目で見たら、歯に挟まっているものを切符を使って取っている。
あ!そんな使い方があったのか!なんてことは思いません。全然思いません。
凄く気になってしまい。1週間前のことなんですが、おばさんの生年月日まで分かりそうです。
癖を辞書で調べたら「欠点」という意味もあるそうで癖というのは一般的に悪いイメージがつきまといます。
友達で手のひらを舌でペロリと舐めてから髪をかきあげる子がいたんですが、あまりにも気になって…。言ってあげることが彼の今後のためになると思ったので、
「その手を舐めるのやめた方がいいよ。」
彼は急に怒り出して「何か悪いことしてるのか!」
いや、悪いことはしていませんが、なんというかそのーあのー。
「正直汚らしい」と彼に言ってしまいました。
彼は、「これ子供の頃からの癖なんだよ。」
その癖を一緒に治そうと思い注意してあげることにしたんです。
彼が僕の家でスーパーファミコンのゲームをやりながら手のひらを舐めるたびに「ほら、また舐めた。」「ほらまた舐めた。」
学校で授業中「舐めちゃダメ!」
彼がちょっとでも手を口に近づけようものなら「なめ…」フェイントか?
彼の癖が気になり過ぎて彼を注意をすることが僕の癖になってしまいました。
約2時間かけて大井競馬場まで行って来ました。当初の予定では秋葉原に寄って罰ゲームを実行するはずだったんですが、思ったよりも時計が早く進み今日の所は競馬という罰ゲームだけにしました。
馬券は競馬場に行かなくてもパソコンから購入できますし、競馬場に行ってもレースはモニターで観戦します。ここ数年、生で馬は見ていません。
野球観戦に行ってもバックスクリーンの映像ばかり見ているのでテレビ観戦と変わりません。コンサートもウォークマン聞きながら見ている、そんなことはしませんがそれに近い状態です。
周りからは、「家で買えばいいじゃんか。」と当然のように言われますが、そんなことは分かっています。
それなのになぜその場に行くのか?
生の雰囲気。コンサートでも音楽を聞きに行っている訳ではなくその空間にいる、その瞬間にいる、歓声を聞く。
小学生の頃、ドラゴンクエスト2のエンディングを友達と家で集まって見たとき。「お、これが最後のボスか。」「オレたちエンディングを一緒に見たんだよな。」という仲間意識。
競馬場では、こっちではハズレて悔しがっている人。こっちでは当って歓喜している人。その空間に僕もいるというのがその場に行くワケなのかもしれません。
その空間でいつも僕は、悔しがることが多くもう二度と行きたくないと思うんですが、学習能力がないのかいつも帰り道は同じことを思っています。
「僕はなんでここにいるんだろう。」
僕の行動全てが罰ゲームです。
▼どのサイトでも「マトリックス・リローデッド見ました。」「映像が凄くて格好いいんだけどストーリーが難解でよく分からない。」というようなことを書いてありました。
最近このようなストーリーが難解な映画や小説などが多いような気がします。
難解といえばトムヤンクンを飲んだ父が、「凄いスープらしいけどこれは腐っているんじゃないのか?すっかいぞ。こんな味なのか?」
あまりにも難解な味についていけなかったみたいです。
▼tA.T.uっていうロシアの二人組みが人気らしいですね。
二人組みといえば日本にもパフィーっていうグループがいたじゃないですか。まだいるのかな?
あれアメリカで売り出そうとしたんだけれども、アジアの純真の歌詞が意味が分からないって酷評されてライブも全然盛りあがらなかったらしい。
一応アジアの純真の歌詞も英語に直したらしいんですけど意味が通じなかったそうです。
そもそも意味なんてない歌詞の曲だと思うんですが、日本語の歌って英語に直さないと世界的に売れないから不利。
音だけなら日本語の響きって美しいと思うんですけどね。英語ってそんなに美しいかな?英語の響きになれてしまったんでしょうね。聞くだけならフランス語の方が美しいような気がします。
意味が分からなくてもポジョボポジョボパーってな感じで前衛的芸術っぽい。それに比べて韓国語は唄うのには向かない。なんか普通に話していると思うんですが、お説教をくらっているみたいです。
どの国の言葉にも言えることですが、歌詞の訳詞とか見ても意味が分からない。日本語でも「歌詞に共感しました。」とか言っているのを聞いて歌詞を見てみるんだけど一部分では意味が分かるんですが曲全体を通すと歌詞の意味が分かりません。
歌詞のある音楽って言葉の響きを楽しむものなんでしょうね。
▼NHKの大河ドラマを「MUSASHI」久しぶりに見たが面白かった。そういえば、武蔵の生まれ育った場所は岡山県と兵庫県の結局どちらになったんだろう?NHKの撮影は岡山県で行われているらしい。
「MUSASHI」を見ていてひとつだけ気になったことが。米倉涼子さんのガタイが良過ぎます。肩幅が広過ぎます。なんかやつれたような役をやっていたんだけど、どう見てもプロレスラー。それはちょっと言い過ぎました。
野球に比べればサッカーはそれほど好きではないのですが、ついつい日本代表が出ている試合は見てしまいます。
家の母も普段はサッカーを見ないのですが日本代表の試合は見ています。しかしいつも日本代表の試合を見て「あれ?ベッカムは?」
ベッカムは外国人ですよ〜と、説明するのは疲れるので、「どうしだんだろうね?」と相づちを打つことにしています。
そうしたら母が今度は、「イチローは?」
どうしろというのでしょう。
母はアメリカの首都は?と聞くと「クリントン」と答える。
しかしスペインの首都は?と聞くと「マドリッド」と正解をいうので脳がどういう構造になっているのでしょうか。
クイズミリオネアを見ていると、10万円の問題ができずに1千万円の問題を正解したりすることも。いきなり1千万円の問題に挑戦とかできないものなんでしょうか?
聞く所によるとこういう現象は我が家だけではないみたいで、父親か母親どちらかの脳がおかしいらしいです。
家庭内のバランスが取れているといえば取れているのでしょうね。
電車を降りてから改札を一番に出ないと夜も眠れないなど、誰にも負けられないことってありませんか?
こんな僕でも負けられないと思うことがある。それは競馬だ。
その自信は日本で一番馬券を購入している20代だということから生まれている。僕はこの記録のために様々な犠牲を払ってきた。17歳で学校を中退。その理由を学校側に提出するときに「競馬を真剣にやりたい。」
今思えばあのとき僕は世間知らずだった。我慢して学校を卒業して大学に行くべきだった。合コンもしたかったし研究もしたかった。
しかし後悔しても昔には戻れないのである。だったら前に進もう。雨の日も風の日も競馬をやろうそう思った。そしてそれを実行してきた。
一般常識でいったらおかしな話しだが、もう僕は戻れなかった。競馬のために友達も好きだった人も失った。
そのような犠牲を払ったからこそこの競馬道では世界一という自負があるし、もう他の道には進めないという苦しい気持ちもある。だから負けられない。
最近になり母親と競馬場に毎週来ている9歳の少年と友達になった。9歳の少年は馬券を買う。2年前から毎週馬券を買っているとのことだ。
このまま行けば僕が作った記録は全てこの少年に破られるであろう。今のうちにその芽を潰しておかなければならないし、それは少年の将来のためでもある。
「5番がいいよね。あの馬最高。あ〜ヤバイなぁ〜。」
僕は5番が良いなんて少しも思っていないが独り言のように「5番最高。」と少年の耳に届くようにささやく。あんな馬走りっこない。馬を見なくても分かる。
「あ!ホントだ!5番いい!5番から買おう!」
少年がそう言った。少年は走らない5番を買う。僕はしめしめと思う。今のうちに若い芽はつまねばならぬ。少年には悪いが、的中の喜びをしってしまうとこの世界は抜け出せないものなんだ。
しかし5番がきて彼の300円が30万円になってしまった。僕は当然買っていない。あんなロバは買えない。
「よ、良かったね。す、凄いね。」
僕の内心は放心状態。
僕の記録は彼に破られるであろう。しかし簡単には破られないような大きな記録を作って亡くなって行くんだ。僕は年間万馬券を20本は取る。これは中々破られないと思う。
「今年は何本万馬券取っているの?」
「5月までで30本ぐらいかな。」
若い芽は着実に伸びてきている。そろそろ僕は引退しなければならないのかも知れません。
昨日、イチゴジャムを作りました。ジャムを作った人は分かると思うんですが、水を入れないでレモン汁とイチゴと砂糖を入れて弱火でトロトロ煮ているうちにイチゴから水分が出てジャムになるんです。
僕は体に優しいジャムをということでダイエットシュガーを使いましたがジャムを作るときは、砂糖を想像以上にいれるんです。
最初本で見たときこんなに砂糖を入れて大丈夫?と思うほどの分量でした。あの砂糖の分量を見ると、ケーキなども砂糖を食べているようなもんですね。
子供の頃僕が父に、「甘い物食べたい」というと「砂糖舐めろ。」
などと言っていたのが分かったような気がします。たしかにデザートなどは砂糖の固まりです。
砂糖は思っているよりも多めに入れないと実体験ですが、かなり酸味の効いたジャムになります。
最後にできたジャムを長持ちさせるためには、ビンが完全に浸るほど沸騰したお湯が入った鍋の中にジャムを詰めたビンを5分ほどいれる。
またジャムを入れる前にビンをアルコールで拭いて入れてもイチゴならば殺菌されて1年は持つそうです。
写真だと色が危険ですが気にしているので気にしないで下さい。砂糖少なめにしたせいか甘酸っぱかった。
今度はもうすぐ旬の桃ジャムに挑戦したいと思います。
今回、イチゴではなく桃ジャムが作りたかったんですが、だいたい500mlのビン一杯に作るのに五千円分ぐらいの桃が必要だったので諦めました。
一度やってみたいのが、さくらんぼのジャム。値段を考えただけでも恐ろしいジャムになりそうです。出来ているジャムを買った方が安上がり。
自家製は自分の好みにできる反面、今回のように失敗などのデメリットがあります。
おじさんの会社では給料を前借するとき、なぜ前借をするのかその理由を書いて提出しなければならない。
社員の50歳の人は20年前から毎月前借をしているらしいんだけど交互に、「つい使いすぎました。」「親戚が亡くなったため。」
この2つを使い分けていたらしいが最近前借の理由が一つ増えた。
「娘が結婚できそうなんでいろいろと。」
できそうなのが5年続いたら面白い。いろいろと。
探偵ナイトスクープ。子供が競艇のモンキーターンをしたいという話しは面白かった。西田敏行さんと同じく泣けた。
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来日中で話題のベッカム様はリアルマドリッドというチームに移籍したが、彼が希望している背番号7番はリアルではフィーゴという選手が付けているために、ベッカムの背番号は77番になるのではないかと報道されていた。
以前、セリアAのインテルというチームにいたサモラーノ選手はロナウドが加入したために彼は泣く泣く背番号9をロナウドに譲ったということがあった。
しかし9番を諦めきれなかったサモラーノ選手は18番をつけ1と8の間に+が入った足し算背番号にした。それだけスポーツ選手は背番号に固執するのものらしい。
背番号といえば、中日ドラゴンズにいた「野球なのにヘディング事件」で有名な宇野勝選手が1980年の大洋ホエールズ戦でユニフォームを忘れた。
そこで飯田コーチのユニフォームの77番を借りて試合に出場した。普段、宇野勝選手は7番。
もし僕が女性でベッカムさんと宇野さんの両方から求婚されているのなら宇野さんと結婚します。
▼阪神のムーア投手のヘルメットには「夢亜」と書かれている。
傘を使おうと思って傘を開いたら「松田弥」
たしかに僕は松田弥です。
おばあちゃんが僕の傘に油性マジックで「松田弥」と名前を書いてしまいました。
いつまでたってもあなたの孫かも知れませんが、もう僕は26歳です。キャッシュカードも作れます。
ひらがなでないだけ良かったんですがもうこの傘は恥ずかしくてさせません。
昔からおばあちゃんは隙を見せると所構わず名前を書く癖があるんです。
僕のファミコンのカセットや本はどれも「3年5組まつだわたる」と書かれているので、中古屋さんに売るときなどは、
「名前が書いてあるので500円引きでの買取になります。」
一度図書館で借りた本の裏表紙に「松田弥」と名前を書かれたことがあって、あまりにもびっくりしてどうしていいのか分からず、家の柱に自分の頭を自分で打ちつけたこともあります。
無くさないようにということらしいんですが、恥ずかしくて無くせないようにしているんじゃないかと思うんです。競馬新聞に名前を書かれたときはどうしようかと…。
僕と同じ名前の馬が出ているのかと思い目を疑いました。
文句を言うとやまびこのように倍になって返ってくるので言えません。
雨が降っていても傘をささない知人がいます。なぜ傘をささないのか聞いてみたら、
「ヨーロッパの人はこれぐらいの雨では傘をささないって聞いたから。」
そんな知人の顔はホンコンさんみたいな超モンゴリアン。梅雨はずぶ濡れ。
たしかに欧州の人は意地でも傘をささないというのは聞いたことがあります。
モンゴリアン顔といえば日本人でラップをしている人ってモンゴリアン顔が多い。目が二重のラッパーは少ないような気がします。
しかしラッパーってちょっと間違えるとヤンキー。
近所の子がピアノを始めたようで1ヶ月に渡り同じ曲が聞こえるんですが、いつも同じ所でつまずくから、もうね、なんというか。あ〜もう、もう少しだよ。
ほらほら頑張れ産まれたての仔馬よ立て!というような感じで応援するんですが、計算し尽くされているような感じで同じ所でつまずく。
わざわざ間違う場所を練習しているような感じになっているんです。もうこの曲はそういう曲でいいんじゃないですか?バイエルさん。
僕もピアノをやっていたんですが、なぜかピアノの先生というのは怒る人が多かったような気がします。
「なんでこんなこともできないの!」
そんなことを言われてもできないものはできません。などと開き直ることもできず。
だいたいピアノの先生は女の人が多い。年齢に関係なくピアノの女の先生が恐いこと恐いこと。
同じ所でつまずく生徒にイライラするというのは分かるんです。キィー!ってなるのは。でも女のピアノの先生は恐い。
先生が恐くてピアノを辞めてしまった人も少なくないはずです。
僕が中学生の時、「なんでできないの!」と手をツネくる先生がいました。あまりにも悲しいのでその先生のおっぱいを揉んじゃおうかなと思ったこともありました。
同じ所でつまずくバイエルを弾いている近所の子。きっとこの子も女の先生に、
「なんで同じ所でつまずくの!」
などとノーベル賞級のどうしようもないことを言われ、涙で鍵盤を濡らしピアノを辞めてしまうんだろうな。
でも1ヶ月以上同じ所でラップのようにつまずくのを聞いていると、むしろ辞めて頂きたいと思っている僕もいます。
ケーキ屋さんのお姉さんからUFOキャッチャーのぬいぐるみを落とすゲームのような感じでお釣りを渡されました。手と手が触れ合うのがいやみたい。
【1日2回お風呂に入っています。】
そのようなことを書いた名札をつけようかと思いました。
お釣りを渡すのも仕事だと思うのでもうちょっとソフトに優しく渡して欲しい。知人ももっと優しく渡して欲しい時もあると言っていました。
最近は、レシートを上手く使って手と手が触れ合わないようにしてお釣りを渡す店員さんもいます。あれはプロの技でしょうが僕はちょっと傷つきます。
汚いのかな?などと店を出た後、自分の手をずっと見つめ自意識過剰モードになってしまいます。
贅沢はいいません。
お釣りを渡すとき、片方の手はお釣りが落ちないようにお客さんの差し出した手の下に添え、もう一方の手でお釣りをそっと渡す。
渡した瞬間、両手で軽くギュ!とお客さんの手を握り締める。
本当におばさんの店員はやりそうです。手を握り締める、そこまでのことはしなくていい。普通にそっと渡してくれればいいと思うんです。
そしてお釣りを渡された僕は「すいません。」
お釣りを貰うときに謝ってしまう癖があります。
▼そういえば昨日父の日だったんですが…。そういえばというほど父の日は浸透していないような気もします。
母の日はカーネーションを贈る。父の日は菊の花を贈る?縁起でもない。
僕は父の日というのを聞くと「ぞうさん」などの童謡を思い出します。
【ぞうさん ぞうさん だあれがすきなの あのね 母さんがすきなのよ。】
あまりにも父さんは寂しい。童謡などで父のことを歌った歌はあまり耳にしません。
子供の頃というのは母と接する時間が外で働く父親よりも多くなる。父の居ぬ間にお母さんが歌って聞かせるためにこのような童謡が生まれたんではないのかと推測します。
「お母さんを大切にしなさい。」という母親自らの洗脳教育というものではないでしょうか?離婚などする時に有利ですからね。
父親になると演歌を歌うようになるのは、父親の寂しさ家庭から迫害されているのを紛らわせるためなのかも知れません。
昔は演歌など聞かなかったのですが、最近演歌を聞くと落ちつく自分に気がつきました。まだ子もいないというのに…。
▼ベッカムの奥さんのヴィクトリアなんですが、あの方が全裸で歩いていてもそれほど気にならない自信があります。いやはやなんの自信なんだか。
▼親戚のパソコンで自分のサイトを見たんですが、微妙に色や明るさが違う。デザインよりも色と明るさが違う。
他のサイトさんも見たんですが僕が普段見ているのとは色合いが違って見えました。
これはノートパソコンの液晶モニターもあると思うんですがOSもあるのでしょうね。
同じウィンドウズでも違って見えるんですからマックなど他のOSだった場合はどのように違うのか考えただけでも恐ろしい。
もうこうなったら、世の中のパソコンは全部シンクパッドでいいんじゃないでしょうか?全員あの真っ黒な無骨なデザイン。
そうすればみんな同じように見えます。
ただこのサイトをモニターが大きなパソコンで見たら周りが真っ白でクラクラしました。
またリニューアルしなくては。ほんとすみません。
一つ良かったのは親戚のパソコンで見たら写真のコンテンツが、今のパソコンで見るよりも綺麗な色合いで見えたからです。っていうことは僕のパソコンの問題?
古く懐かしい知人から電話があった。「オレ、結婚するんだ。」
そして彼はこう続けた。「まっちゃん10年ぐらい前だったかな?オレが26歳ぐらいで結婚するって言ってたろ?当ったな。すげぇーすげぇー。」
僕はそんなことを言ったのだろうか?まったく記憶にない。でも彼がすごいすごいと言うから凄いんだと何だか思った。頭が割れるほど悩んで買った競馬予想は当らないのに、適当に言った予言が当った。
何気なく言った言葉を他人が憶えていたりする。どうでもいい会話だったはずだが、その言葉が何かの切欠になったりするものかも知れない。
「お前って面白いよな。」と言われて喜ぶ人もいれば傷つく人もいる。まったく言葉というものは予測不能なんだな。
しかし僕もいい加減だ。発する言葉に何の責任も持っていないし言ったら言ったっきり。昨日何を言ったのかも憶えていない。もしかしたら自分の発した言葉で知らず知らずのうちに人を傷つけているのかも知れない。
でも僕が一つだけ覚えている言葉がある。
結婚をするという彼がお金がないから結婚式あげられないんだよ。ごめんな。と言うのを聞いて、
「お、良かった。良かった。」
ご祝儀を払わなくて助かったと思わず言ってしまった一言です。
僕のうちで飼っている犬は絶対に人間の左側を歩こうとします。
首輪を引っ張り右側に無理やりもってくるんですが、もの凄い力で左側に戻る。一度犬が寝ているときに僕は犬の左側に寝そべったんです。そうしたらムクっと置き上がり僕の左側に移動しました。
プロレスラーが寝ているときに「ワン・ツー」とカウントするとスリーの前で肩を上げると言うのを聞いたことがありますがそんな感じ。左を取られるのがイヤみたいです。
小さな頃、右側で何かイヤなことでもあったのでしょうか。
左といえば僕は字を書くときやお箸を持つときは左利きで、ボールを投げるときなど力が必要なことをする時は右手を使います。
左利きには包丁が使い難いなどさまざまな欠点がありますが、最大の欠点はカウンターなどで食べていると隣の人の肘が当ることでしょうか。
でもたまに当らないな?変だなと思うと左利きの人だったり。なんだかそれだけで親近感が沸きます。
左利き同士は妙な親近感が沸くんですよね。「あ!左利きなの?」「え!?君も。」とかで。左利きは身を助けるというのでしょうか。言い過ぎかも知れませんが左利きは一つの芸として確立しているような気がします。
しかし左利きというのは子供の頃、苦労をしました。
小学生の頃、先生が「左利きはダメです。右手で書きなさい。」などと言われて、先生が見ているときは右手を使い先生が見ていない時は左手で字を書く。何だか左手が不良番長で右手は優等生みたいな感じで器用に使い分けていました。
今その苦労は報われて左利きというだけで会話がちょっと弾みます。その後の会話が弾むか弾まないかは己の腕次第と言った所でしょうか。
話しを戻しましてうちの犬がお手をする時は右手をあげます。おかわりは左手。走るときも右足から掻き出すので右利きだと思います。犬にも利き手があるみたいです。僕がお手をする時は…
「お手」と言われたら条件反射で左手を差し出してしまうかも知れません。
横浜中華街に行って来ました。中華街には修学旅行の生徒でいっぱい。
中華街では今栗がマイブームらしく、マイブーム?そこらじゅうで配っているんですが、その栗を貰って食べている女子中学生が「幸せ〜!」と言っているのを聞いて癒されましたくり。
女子中学生を親のような目で見ている自分は年を取ったことを実感したくり。もう恋愛対象としては見られません。
しかしなんでそこらじゅうのお店で栗を配っているのか不思議くり(しつこい)
中華街でお昼を食べたんですが、美味しいんですがお店が生ごみくさい。あ!美味しいなと思って息をした途端クサイ。キムタクがワキガみたいなものでしょうか。
気をぬけないお店でした。
これからの蒸し暑い季節、生ゴミくさいのは要チェックですね。くり。
僕の父は男の子が欲しかった。その希望通りに僕が産まれた。
なぜ男の子が欲しかったのかその理由を尋ねたら、女の子は父親に顔が似る。俺とそっくりな顔の女の子が産まれたら可愛そうだからというのが理由らしい。その逆で男の子は母親に似るらしい。
余談ですが、母親方のお父さんが禿げていたらその子供は禿げる確立が高いとむかし学校の先生に聞いたことがあります。
父が、「オレのような顔だと一生嫁にも行けないだろうから男でほんと良かった。」
おさげ姿の父を思い浮かべてしまった。
そういえば小学生の頃に友達の家に行ったら、友達のお母さんが「握りたてのおにぎりだから美味しいよ!」と言っておにぎりを出してくれたんですが一つも食べませんでした。
お母さんは友達とそっくりな顔をしていました。
その後、その友達が「遊ぼう」と言ってもお母さんが言っているようで、何だか妙な感じだったことがあります。
今日は東京ダービーがあるので大井競馬場まで行こうと思っていたんですが、どうも気持ちが乗り気じゃないので電話投票で馬券は購入したいと思っています。ナイキアディライトは1.1倍。堅そうですね。
本日、大井競馬場では先着1万5千人にスクラッチカードを配布して抽選で千人に「東京ダービーTシャツ」をプレゼントします。
2年連続で貰っていたんですが、今年は行かないので東京ダービーTシャツは貰えません。
今まで貰ったTシャツは、父と母にあげました。母は2001年の東京ダービーTシャツ。父は2002年の東京ダービーTシャツを着ています。
今年行くのが乗り気ではなかったのは、親子みんなで東京ダービーTシャツを着るのは勘弁して欲しかったというのも潜在的にあるのかも知れません。
そういえばこの前ペアールックを着ている親子を見ました。お父さんもお母さんも娘も同じ服。
アクセサリーなどポイントでのペアルックなら理解できるんですが、よく揃えることができたなというほどの上下のペアールックでした。
ペアールックもあそこまで行くと恐いものがありますね。
あれはお父さんの趣味なのか、お母さんの趣味なのか。愛が溢れちゃっている感じというのは側から見ると恐い。
一度見てみたいのが上下ペアールックを着ている男女が喧嘩をしている現場です。殴り合いならなお良いです。ホラー映画は好きではありませんがそんなホラーなら少しは見てみたいような気もします。
暑くなりアイスコーヒーを飲みたい季節になりました。関西ではアイスコーヒーのことを【レイコー】というらしいですね。
関東で「レイコー下さい。」と言っても通じるのはキャバクラぐらいなもので、喫茶店などではアイスコーヒーは出てこないんではないでしょうか。
国語辞典などで調べるとアイスコーヒーは引けるんですがレイコーは引けません。辞書というのはやはり標準語で掲載されているのでしょうか?
気になり「ちゃうちゃう」なども辞書で調べたんですが載っていませんでした。やはり大阪弁は掲載されていないのかと思ったら、「ほんま」というのはありました。
【江戸時代の駄賃馬の一。幕府公用者や諸大名が用いた。四〇貫の荷を負う。】
という意味だそうです。
「ほんまかいな」というのはそのような意味があったんですね。
ほんまかいな。ちゃうちゃう。
父が二日前に僕から5000円を借りて趣味の釣りに行って、イサキなど100匹ほど釣ってきました。そのお陰で二日間、刺身や干物などの魚づくしでえら呼吸とかできそうです。
100匹ほどと言ってもそのうち50匹は、こんなもの食べられるの?と思うようなグロテスクな魚ばかりなんですが、食べてみると意外に美味しい。
見た目が悪いからってバカにはできません。
ほら人間にもよくいるでしょう。深海魚みたいな子が。でも食べてみると…って人間に例えちゃいけませんね。
最近味は良くても見た目がグロテスクな魚は一般の家庭では売れないので市場には出まわらなくなったそうです。
そのような見たこともない魚はどうさばいていいのか分からないですからね。
しかしアジを3枚に下ろせない家庭もあるそうで、アジは開きのあの形で泳いでいると思っている方もいるそうです。
この魚づくし。一番の問題は家中が魚くさいということです。その魚の臭いのせいか、先ほどから外で猫がニャアニャア泣いており。
そのうちインターホンを押して、
「すまにゃいにゃ〜。あまっている魚を分けてくださいにゃ〜。」
などと名古屋弁で言うんじゃないかと思うぐらいに泣いています。
▼村上春樹の「ノルウェーの森」という本が発売されて話題になったとき僕は中学1年生だった。
友達がマセた子で春樹っていいよとか言っていたので、速攻ハードカバーの「ノルウェーの森」を上下巻買った。4000円近くした。中学1年生には痛い出費。
しかし3ページ読んで満足した。あれから一度も触れず本だなの同じ場所に置いてある。すごいホコリ。本を開いたら見たこともない虫がいるかも知れません。
▼どうもあの巨人の木佐貫投手が誰かに似ている。凄い気になって夜も眠れないというのは大袈裟ですが誰かに似ている。日記も更新できない状態です。更新してます。
あの顔はルーキーじゃない。初々しさが微塵も感じられない。
稲中卓球部とかにいそうな顔に見えてしょうがないんですけど。いや違うかな?でも誰かに似てる。絶対に似てる。
1日イチホルモンという感じで最近ホルモンばかり食べています。正確にはシマチョウという名のお肉です。味噌ダレに突け込んで食べているんですが、熱々のご飯と食べるとこれがまた美味い。
今ではシマチョウやギアラなど昔は耳にしなかったお肉が沢山ありますが、むかし焼肉といえばカルビではなくホルモンでした。なんせ焼肉のことをホルモン焼きと言っていましたからね。
「ホルモン焼き食べにいこか」
というと今で言う焼肉のことでした。むかしと言っても僕が5歳ぐらいまでのことで、その後「ホルモン焼き」という言葉はあまり聞かなくなってしまいます。
なぜこんなことを知っているかというと母の実家が「ホルモン焼き」をやっていました。戦後すぐ始めたので「ホルモン焼き」の走りでしょうか。
僕が8歳ぐらいの時まで約40年ぐらい「ホルモン焼き」をやっていました。
なぜ辞めてしまったのかというと経営状態が苦しくなってしまったというのが一番の理由でしょうか。
いや美味しかったんです。お客もそれなりに来ていたんですが潰れてしまった。
なぜ潰れたのかそれは、お肉の一番美味しい部分を親戚一同で食べてしまうんです。そしてその残り物をお客さんに出す。お客はマズイって言ったら悪いですが残りの"カス"を食べてる訳です。
また雰囲気が悪い。
子供の僕があっちに行ったりこっちに行ったり。別の親戚の子供が店の中で野球を始めたり。お店にお客が入ってくると「誰が来たんだ?」とみんなで直視するんですから、そんなことでは昔馴染みの常連のお客しか店に来なくなります。
しかも常連さんからは勘定を殆ど取らない。昔の店ですからね。ツケがあったんです。
そんなこんなんで「ホルモン焼き」をやめてしまった訳ですが、その後焼肉ブームというのが到来して盛んに「まだ続けていればな。」と母などは言っています。
まあ続けていた所で美味しい部分のお肉は全て身内で食べてしまう。客に"マズイ"ところを出すっていう訳なんですからそんなお店は無くなって当然といえば当然だったのかも知れません。
家政婦じゃないが僕は見てしまった。
本屋で8歳ぐらいの男の子が売り物の小さな人形を弄っていたらその人形の首が取れた。
「あ、取れちゃった。」
子供の顔が見る見るうちに青ざめていく。おもしろい、じゃなくって、「あ、取れちゃった」なんて口に出しちゃダメだ。無言でその場に戻しておけば誰も気付かない。
僕も先日
似たような経験をしているんでその子供の気持ちは痛いほど分かる。
でも僕にはどうしてあげることもできない。声をかけた所で見つかってしまったとその子供の罪の意識を煽るだけである。
子供から助けを求めてきたら助けてあげればいい。
その子供はもう十二分に反省しているのは表情から汲み取れる。悪気があってのことではない。触っていて壊れるような人形を作った会社が悪い。
その子供は両手を顔に当ててムンクの叫びみたいな表情になっている。
そこにおばちゃんが現れてよせば良いのに声をかけた。
「あら、壊しちゃったの。大丈夫、大丈夫よ〜。」
子供は泣き出してしまった。
おばちゃんは分かっていない。こういう時こそ見て見ぬフリをするもんだ。声をかけるならそこら辺りで制服でタバコを吸っている高校生に声をかけるべき。
おばちゃんのせいでその子供は一生今日のことを忘れないだろう。そして今日のことがトラウマになり万引きの常習犯になっていくのである。
そんなわけないか。
「マトリックス見たことある?」
「あ、あのエビゾリのヤツね。あれ凄いな。」
既に続編のリローデッドが話題のマトリックス。実はマトリックスのマの字も見たことがないんです。
盛んにマトリックスのあの有名なエビゾリのシーンばかり流れるのでそれを見ていたらもう何だか鑑賞した気分になってしまいました。
マトリックスにもストーリーがあるのでしょうがそんなものはどうでもいい。見ていなくても見たという共通の話題で会話ができればいい。
「リローデッド見た?」
「クルクルキックが凄いよね。ホント凄い。」
誰もストーリーに触れないので宣伝を見ただけで鑑賞気分に浸れるお得な映画マトリックス。
でもそういうことってないですか?行ってもいないのに行った気分になってしまったとか。食べてもいないのに食べた気分になったとか。付き合ってもいないのに付き合った気分になってしまったとか。
現実では何もしていませんが想像というか妄想で満足してしまう。満足といいますか、目的を達成する以上の何かを得てしまったために本来のことはどうでもよくなってしまうこと。
そういえば小さな頃、母にオモチャを買え買えとタダをこねた事がありました。人が沢山通っている道端で短い足をばたばたさせ。
人が通っていない所では意味がない。人がたくさんいるところでワンワン泣くというのはタダをこねるのには効果的なんです。
そんな所で泣いていると皆さん注目します。
「この子かわいそうやわ〜。」
大人というのは、子供が泣いていると理由も分からずまずはかわいそう。周りにいる人たちは、この子の親は何をやっているんだ。
親の顔が見てみたいということになるんです。
まあ近くにいる親は恥ずかしいことこの上ない。
「も〜う!泣かない!買ってあげるから。」
普通はそうなると思うんです。うちの場合もそうなる予定でしたが…。
「なんで!?お金がないんだから買えないの。お母さんを困らせて楽しいの?」
といいながら母が泣いてしまったんです。僕はどうすればいいのか分からない。僕の計算を遥かに超えてしまった。
エビゾリなんてものじゃない。制作費100億円のSFスーパーアクションより凄い。ドキュメント。ストーリーINストーリー。物語の中の物語に入ってしまったんです。
小学校の頃隣の席の女の子に、
「君、頭大きいな!」
と言ったら突然泣いてしまった時の衝撃と同じ。頭が大きいという現実を言っただけなのに…。真実を言ってはいけなかったんですか?
「なぁ〜かした!なぁ〜かした!先生に言ってやろ〜!」
などとどこからともなくお祭りが始まりました。
危険を感じた僕はすぐに謝りました。ごめん。もう言わないから。
そうしたらその泣いていた女の子、「泣いてないも〜ん」
え!?
母もウソ泣きでした。そのウソ泣きの母を見たときオモチャを買うという目的以上のものを得てしまったように感じオモチャを買うということはどうでもよくなってしまいました。
先日の日記でそろそろおばあちゃんが帰ってくるんじゃないかと父が言っていましたが、本日ジョーズのテーマと共におばあちゃんが帰って来ました。いやターミネーターのテーマ。
父の予想は当ったと言うことになります。血の繋がりがなさるワザでしょうか。
おばあちゃんは行っていたおばさんの家で喧嘩をしたらしくそれで帰って来たそうです。
この話を知人などにしたらボケないだけいいと皆さん仰いました。そうですよね。ボケたら大変です。ボケたら…。
▼
僕がつくったマヨネーズです。というのはウソですが僕の家では松田のマヨネーズを使っています。
家に来た人に「ほらこれ」と言って手渡すとみんなびっくりします。小ネタを仕込んでいる場合じゃないですが、この松田のマヨネーズ結構人気らしいです。でも僕には一銭も入ってきません。
母が、
「アホの細田くんっていたでしょ?」
アホの細田くん?思い出すまでに一瞬の時間がかかったが確かに小学生の頃アホの細田くんはいた。アホの細田くんは、僕らよりも3つ上の先輩。
みんなにアホ、アホ言われていたからいつのまにかアホの細田くんというあだ名になっていた。
先輩なのに誰からも尊敬されないアホの細田くん。同級生には、「細田本当にアホだな〜。」下級生には、「アホの細田せんぱ〜い。」などと言われていた。
どこがどうアホなのかそれは分からない。たしかに勉強はできなさそう。ただなんとなく間の抜けた顔をしていたというだけでアホになった。
小学生の頃はトイレでうんこをしているのを見つかっただけでうんこマンになってしまう。
もし細田くんがトイレでうんこをしているのが見つかったら、母が、「うんこ細田くんっていたでしょ?」になっていたと思う。
なぜかアホアホ言っているのに虐めという感じがしなかった。アホの細田くんも、「ほんとアホだな〜。」と言われてもニコニコしているだけで怒らない。
そのニコニコした表情を見てみんな繰り返しアホアホ言っていた。
そんなアホの細田くんが小学校6年生の時に大学生なども一緒に混じって走る10キロの持久走大会というのに出た。
「アホ頑張れよ!まあビリだろうけどな。アホだから。」
みんなそう予想してそうはやし立てた。
しかしその予想を裏切りなんとゴールの会場に一番に戻ってきたのはアホの細田くんだった。
みんな目を疑った。「マジかよ。」
一人の大人が、「コースを間違えたんじゃないのか?」
ゴールの会場から笑い声がした。
折り返し地点で通過した証にカードを貰う。審判員のおじちゃんがアホの細田くんに、
「カードを持ってる?」
アホの細田くんは"やっぱり"カードを持っていなかったために失格になってしまった。
「コースを間違えたんだろ!やっぱりアホだよ!」
そう言われたアホの細田くんは"やっぱり"にこにこしていた。
その3分後ゴールに本物の1着の大学生が入ってきた。その大学生がアホの細田くんに、
「君早いね〜。」
「どうもありがとー。」
審判員のおじちゃんが大学生に、
「え!この子は折り返し地点の切符を持っていなかったんですよ。」
大学生が、「いや。ちゃんと貰っていましたよ。その地点まで僕とほとんど一緒に走っていましたから。そのあとどんどん離されちゃって。小学生に…。」
アホの細田くんは優勝した。
「アホだから疲れたのが分からないんじゃない?」「疲れることを忘れちゃったんだよ。」「アホだから切符落としたんだって。」「やっぱりアホだ。」
その持久走大会で初めて小学生が優勝をした。その後はずっと大学生が優勝をしている。
アホの細田くんの家は僕の家の近くだった。僕が駐車場で一人壁に向かってボールを投げていると、アホの細田くんがジョギングをして「やあやあ。」と言って通り過ぎて行く。
ずっと「やあやあ」言っている。
次に通り過ぎて行くときは「ほお〜。」ずっと「ほお〜ほお〜」と言って走っていく。
その次は「うほうほ」ずっと「うほうほ」言って走っていく。
その次は…。
毎日5時の鐘がなるまで何周もジョギングをしていた。何十週も「うほうほ」言いながらジョギングしている細田くんを見た僕は本当にアホじゃないかと思った。
一度「アホって言われて平気なの?」と聞いてみた。
「みんな悪気があって言っている訳じゃないからね。」
ニコニコしてそう応えた。僕まで優しくなれる笑顔だった。
そんなことを知っていたせいか、持久走大会で優勝したアホの細田くんを見て自分のことのように嬉しかった。
母が、
「アホの細田くんっていたでしょ?今大学の助教授になっているんだって。なにか難しい研究をしているそうよ。」
国立の大学の助教授になってしまったらしい。なってしまった。先生でアホってことはないと思うけど親までアホの細田くんで覚えている。
うほうほ言いながらジョギングをしている彼を思い出した。彼が本気でアホになれば誰もかなわないような気がした。
昨日午後8時就寝で起床が午前9時。眠りました。
▼ダービーは優勝したネオユニヴァースが強かったですが、2着のゼンノロブロイもバテていない。もしかしたら菊花賞の頃にはキャリアも浅いゼンノロブロイの方が強くなるかも知れません。
競馬場でびっくりしたのが女性のお客さんの多さでした。10年前では考えられないほど多かったです。10年連続で行っています。
しかしダービーは人が多過ぎて競馬を楽しむには向かない日ですね。
▼HN募集と言うかなんといいますか、なんとも言えませんが、なんとメールが5通も着ました。少ないとかいわんといてください。メールを下さった皆様ありがとうございます。
また掲示板に書きこんでくださった皆様ありがとうございました。細く笑んでください。
HNを変更しようと思ったんですが、「まつだわたるさんはまつだわたるさんです。」というようなメールが多数をしめたため(2通)今後もまつだわたるで宜しくお願いします。募集をかけておいてそりゃないって話ですけど。
キカクモノはどうも向かないみたいですね。っていうかHN募集って企画にもなっていませんが。
▼犬の散歩をする時は、うんち袋を持っていくんですが、自分家の犬のふんをいれてると他の犬のふんが落ちている時があるんです。
落し物として届ける訳にはいかず、かといってそのままにして置くと自分のとこのも取っているふりだけをしているように思われるんで、しょうがないからよその犬のふんも一緒にひろって帰ります。
最初はイヤでしたが最近ではうんちが落ちていないとがっかりして散歩から帰るようになりました。そんなことでがっかりしている自分にがっかりです。
祖母が叔母の家に行っている為、祖母の部屋にはだれもいません。それをいいことに父が祖母の部屋で寝ています。
普段はリビングで布団を敷いて寝ているという一家の主としてお手本のような父なんです。
リビングというのは家族だんらんワイワイがやがやする所と相場が決まっているので、そのお手本通りに僕らは1日中そこでテレビを見たり、飼っている犬とキャッチボールをしたりしています。
父は午後8時になると、そのワイワイやっているリビングに布団を敷き寝てしまいます。普通は煩くてそんな所では眠れません。厳密には寝ているフリなんです。
以前父が独り言を言っているのを聞きました。
「起きていてもオフクロが煩いしたまんない。」
オフクロというのは祖母のこと。
クマに出くわした時には死んだフリをしろといいますが、まさに父は家では死んだフリをしているのです。
真面目だけが取柄で酒と眠ることが趣味の父ですし祖母がいなくなり熟睡できるその気持ち多いに分かります。
祖母がいなくなってせいせいしたのでしょうか。日に日に血色が良くなっています。そんな父は普段は競馬の"け"の字も口にしないのですが、
「明日はダービーだっけ?オレも買おうかな?」
と言ってから祖母の部屋に入っていきました。
しかしもうすぐ祖母が帰ってきそうな気配があるのは長年のカンで分かるらしく、今夜で祖母の部屋で寝るのは最後にするそうです。
午前2時過ぎ。
こんな時間に祖母の部屋から光が漏れているのは変だなと思い覗いて見たら、父が焼酎片手にサラミを食べながらテレビを見ていました。最後の晩餐のようでした。