三沢光晴が亡くなった。
毎週、週刊ゴングと週刊プロレスを買うぐらい中学生の頃プロレスが好きだった。僕がプロレスを見ていた頃は、ジャンボ鶴田が全盛期で北の湖のような圧倒的強さで君臨していた。
その下に天龍その下に三沢や川田や冬木がいた。
学校ではプロレス技を掛けるのが流行っていた。
中学生の時に松田君のいい所と悪い所を書いてくださいというアンケートがあった。
いい所は優しい所、悪い所はプロレス技をかける所と書かれていました。
家でも3つ下の弟とプロレス技をかけ合っていました。
弟は身軽なのでムーンサルトプレスやフランケンシュタイナーなどの空中作法を。僕は力があるのでパワーボムや投げっぱなしジャーマンなどの投げ技を交互にをかけて遊んでいました。
やがてエスカレートしていきただの殴りあいの喧嘩になりました。
その後、反抗期というものが訪れ父と殴り合いの喧嘩になりました。
父は若い頃スポーツをやっていたので腕っ節には自信があるらしくなかなか勝てませんでした。
ある日、父と殴り合いとしていると、僕のキチンシンク という膝蹴りがレバーに入ったのか父がうずくまりました。
僕はそのチャンスを見逃しませんでした。
今だ!パワーボムをかけよう。両膝で父の頭を挟み脳天から畳に叩き付けようと父を持ち上げようとしました。
しかし父も堪えたのか中々持ち上がりません。そこで僕は父の腕を取り三沢光晴の必殺技タイガードライバーの体勢に切り替えました。
あれだけ重かった父がいとも簡単に浮き上がりました。
僕は漫画のように「タイガードライバァー!!!!!」
と叫んでいました。
初めて体力的に父を超えた瞬間でした。
倒れた父にフェースロックを掛けながら、寂しいような嬉しいようなそんな思いに浸っていました。
父は翌日病院に行きました。あばら骨が折れていました。
それ以降僕と父は殴り合いの喧嘩をすることはなくなり罵り合いになりました。
三沢さんのタイガードライバーが無ければ僕は今でも父を超えることができなかったと思います。