まだまだ絵日記。
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お久しぶりです。風邪をこじらせて軽い肺炎になっていました。

子供の頃、肺炎で入院をしたことがあるのですが、ずっと僕は肺炎ではなくガンだと思っていたので、退院してから学校では「ガンだった。」と言っていました。

両親も「お前、ガンだったな」

そう言っていました。

自慢になりませんがこういう間違えはよくある方だと思います。

僕は巳年なのですが、子供の頃、「僕は何年なの?」と父に聞いたらお前は「龍とヘビが混じっている年だ。」



と言われてここ4,5年ほど前まで、龍とヘビが混じっていると思っていました。所謂ハーフだと思っていました。

「僕は龍とヘビが混じっているらしいよ。」

同学年の友達にはそう応えていました。

今思えば僕は3月生まれの早生まれなので3ヶ月早かったら辰年なのですが、小学校などの学年で考えれば辰年が多いのでそう教えられたのかも知れません。

蛙の子は蛙と言いますが、僕も息子ができたら

「お前は混じってる。」

と教えるのでしょうか?

そしてこの前、実家に帰ったら相変わらず母がシャツを裏返しに着ていました。

一緒に住んでいた頃は、その度に「シャツが裏返しだ!」とツッコミを入れていましたが、実家から離れて住んでたまに会う母に突っ込まないでいる自分がいました。

変わらないことの美しさ。

不変というのはこういうことを言うのかと思いました。ある意味、母の間違えは文化遺産です。シャツを裏返しのまま鬼籍に入ってもらいたいと思います。


■おまけ

電車で、

「大麻安かったから買ったんだけど使い方が分からない。」

なんて物騒な話をしているんだと、会話の方を見たらおばさんだった。

「ほら、タイマって料理の時に便利じゃない。」

ーがあるのとないとではえらく違う。ボを伸ばしてください。




おばあちゃんはよく人のワルグチを言います。

老人、特に女性は年を取るとワルグチというか人の噂や評価に毒が入る傾向があるようで。

聞いている方もイヤですが聞かないといけないのでこの日も聞いていました。

最近はもっぱらETさんとワルグチ談義?をしています。聞いているETさんは歯茎をむき出して笑っています。今日も面白いと笑っていました。

今日は家の父のワルグチを言っていました。

おばあちゃんが父(自分の息子)のことを、

「なんであんなにブサイクなのかね?あんなブサイクみたことない。」

自分の息子のことをそう言っています。

僕は黙って聞いていましたが、おばあちゃんと父の顔はそっくりだと思っていました。理不尽を通す性格も似ています。

おばあちゃんが僕に「お前は似なくて(父に)良かったね〜。」

ということは僕は母に似ているということでしょうか?

僕が子供の頃、おばあちゃんは母のことを、

「あんな顔が長い人見たいことないよ。らっきょみたいだ。」

それから母は「らっきょ」と呼ばれていました。

あれから20年。

あれほど嫁姑の喧嘩をしていたのに今、おばあちゃんとらっきょこと母が仲良くしているのを見ると、なんだか不思議です。

食わず嫌いだったのでしょうか?

そしてあれから20年。

だんだん顔がカレーの横についてきても残される確率が高いらっきょに似てきた僕です。

僕を認めてくれる人もいることを信じ立派ならっきょになっていきたいと思っています。このサイトと共にかおなが〜く宜しくお願い致します。





インターホンが鳴りました。

「どちらさまですか?」

と言ったら「%&$%&$%」

何を言っているのか分からなかったので、

「もしもし!」

と聞き返したのですが、何を言っているか分かりません。

もしや、「もしもし」ってインターホンで言ったのは変だったのか?

ちょっと後ろめたさもあり、急いで覗き穴から見たら配達の人らしき格好の人が立っていたのでドアを開けたら「○○の販売にきました。」

セールスマンでした。

普段なら、「○○のお知らせにきました」と言うのはインターホンを通して「結構です。」と素っ気無く言ってドアを開けませんが、「もしもし」と言ってしまった後ろめたさと、相手が何を言っているのか分からなかったのでドアを開けてしまいました。

理解不能なことをされると理解したいという気持ちが働くせいか、ちょっぴり優しくなってしまいます。

おばあちゃんの場合はセールスマンが来たら、

「留守なんで分かりません。」

と追い払っていますがそれを聞くと毎回、考えてしまいます。

おばあちゃん、まだちゃんと生きていると思うんですけど。それに僕もかろうじて生きています。




いい加減なと言えば賞味期限の設定はいい加減だな〜と思います。

お正月にETさんの実家から送って頂いたウニが冷凍庫に冷凍保存してあります。そのウニは解凍して食べるのですが賞味期限が二ヶ月前に切れていることに最近気づきました。

でももったいないので捨てません。食べちゃうともったいないので食べられません。食べてもたぶん大丈夫。

今年の2月頃に僕の実家からさんまの冷凍したものを貰いました。賞味期限が目に入りました。

ほうほう賞味期限は6月までか。まだ賞味期限が4ヶ月もある。冷凍保存していつか食べようと思っていました。

しかしよく見ると2005年6月と書いてある。今年は何年?

そのさんま早く食べないと腐ってしまうのですぐに食べました。いやもう手遅れという話もあります。

「人間の味覚が一番だよね〜。」と言いながら腐っているか試食のつもりがいつの間にか完食。

その後なんともありません。いや気づいていないだけであったかも知れませんが知らぬが仏。本当に仏になったかも知れませんけど。

そういえば昔は、賞味期限切れでもちょっと食べてみて「あ、これだめ。」「あ、まだ大丈夫。」というようなことをしていたと思います。

賞味期限を見てしまったばっかりに恐々食べましたが、もし賞味期限を見なかったのなら普通に美味しいと言って食べていたことでしょう。

一番、とてもいい加減なのは味覚かも知れません。






最近、ハンカチ王子こと早稲田実業の斉藤投手が注目されて困っています。

僕は小学生の頃から外出する時はハンカチを必ず持っています。それが当たり前でした。

しかし最近はハンカチをポケットから出して汗を拭いたりハンカチを使うことが恥ずかしいのです。

「あ、斉藤投手の真似だ」

そう思われるんじゃないか。ハンカチが注目されるのは嬉しいですが、僕のテリトリーをなんとなく荒らされたような寂しさも感じます。

斉藤投手ではなくハンカチに注目する世間に寂しさを感じます。

男の人がハンカチを持ってしまうことが当たり前になってしまうことが少々寂しくもあります。

あまのじゃくなんでしょうか?流行り物は恥ずかしい。少数派というのが貴重。そういう性格なのかも知れません。

そこで新しい僕のオリジナル、略して、ボクジナルを見つけないと。

そういえば一度噛んだガムは口から外に出すのは汚い気がして飲み込みます。

初めてのデートでメロンソーダーに入っているさくらんぼの種を出すのが恥ずかしいから飲み込んじゃうのと同じ。

僕は毎日がつねにはじめてのデート状態。


男らしく一度口に入れたガムは出さない。ガム飲み込み王子として今後、やっていきたいと思います。

みなさんのボクジナルはなんですか?




台湾料理を食べに行ったらそこの店員さんにETさんが、

「松本伊代さんにニテイルッテイワレマセンカ?」

と片言の日本語で言われていました。

ETさんはあまり嬉しそうではありませんでした。もっと嬉しがるべきですよ。だってまだ16歳ですよ。

僕の解釈では若い頃の松本伊代さんに似ているってことではないかと?ほら16歳の頃の。それ以外フォローできません。

まだ人間なんで良かったのではないかと思うんです。僕なんて、

「君ってなまずに似ているよね?」

と言われた事があります。起こせる物なら地震を起こそうと思いました。まあ自信は喪失しましたが。

僕の場合、似ていると言われるのはいい時はオシャレじゃない中田英寿さんなんでたかが知れています。

一度は言われたい。ウソでも言いたい。「ブラッド・ピットに似ている」と。

あれから40年。

そこに寝て動かないのはブラッド・ピットと言うより黒豚(ブラック・ピック)

という訳で久しぶりの絵日記更新でした。

しかし松本伊代さんというのがなんとなく台湾っぽいですよね。




サイクリング中に急におしっこがしたくなりました。お店などないため仕方なく、大きな看板の裏で用を足していたらETさんが、

「わたるくん紙足りるの?あるよ!!!」

と大きな声で言われました。

違いますって。さすがに室外では大はしませんって。いやキャンプの時は室外で大もしますが、今は小です。

相方のETさんが、「看板の下からお尻が見えたようだったんだもの。あとわたる君がいつもティッシュ持って出ているからあ〜うんちかな?って。でもそんなところでするの?って。」

僕は外で大ができないニュータイプの人間なんです。伊藤博文もそのタイプで、国会を抜け出して自宅に戻ってしたそうです。

外でうんちするのって何だかイヤじゃないですか?(どういう問いかけだ!)

ということでETさんのお父さんが、おもながざんすというサイトを始めました。ウソ臭く間違えました。おもさげながんすです。メールにオチがついているETさんのお父さんのことです。きっときっと!(ザ・タッチふうで)

サイトを通して交流するというは、楽しいですね。

僕の父、松田ジダンさん(気が短いためジダン本当はタダシ)も「ノートパソコンを2万円で買おうかと思ってるんだ。」

と言っていたのでそのうちホームページを始めるかも知れません。

まあその前に携帯をどうにかした方が良いかも知れませんね。

僕の名前(わたる)が「わたたたオハヨウ」とか自宅が、「ちくちく」とか、で登録されています。

父いわく、「名前入れると全部、オハヨウってなっちゃんだよな。おい。」

工作員が使う暗号みたいなことを言っているので、皆さんが理解できるサイトにならないと思いますが、そのうち作ることでしょうか?

というみなさんがサイトを作るようになったので、世界は広くなおかつ身近になった感じがしてよいですね。





最近飲み物を飲むと、口の横からこぼれることが多くなりました。これはくっしゃみと一緒におならが出るのと同じことでしょうか?

いや、もっと重症なのは、笑っている時におならが出ることです。

いや、もっと重症なのは、おしっこだと思ったら出ちゃった時です。

いや、もっと重症なのは、あくびをしたらアゴがハズレそうになった時です。

いや、もっと重症なのは、背伸びをしたら肉離れした時です。

いや、もっと重症なのは、左手に持っているソーセージを右手に持っている洗剤と間違えて洗濯機に入れた時です。

そもそもソーセージをなぜ洗濯する時にもっているのか。

いや、もっと重症なのは、最近はなくなりましたが、日曜日と勘違いして月曜日に競馬場に行ったことです。

いや、もっと重症なのは、トイレに入って出て手を洗ってまたトイレに入ってしまった時です。

いや、もっと重症なのは、「こちら亀有公園前はちゅちゅじょ」と言っていまうことです。

いや、もっと重症なのは、靴紐をかた結びに結んでしまうことです。

いや、もっと重症なのは、満員電車でズボンのポケットに入れていた携帯電話のバイブが震えた時、前にいる女の人がちらちら僕を見るとき、ちょっと嬉しくなる時です。

というか変態です。

いや、もっと重症なのは、手袋を見ると「手袋の反対は?」といってしまう時です。

そんな人いません。

いや、もっと重曹なのは、つけて置くと食器が綺麗になり、また料理ではアクがとれます。

いや、もっと重症なのは?

いや、もっと重症なのは、そもそもこのえにっきです。

きれいに落ちたところで今日のえにっきおちあいひろみつ。また次回のおたのしみーおおにし。



ここに引っ越してきて1年。未だになれないのがゴミ出しです。ゴミを出す時は、ゴミ置き場に誰もいないのを確認してから出しに行きます。

誰もいないと思って安心して出しに行ったら、笑うセールスマンに似ているおばちゃん突然現れて、「缶はちゃんと潰して!」

なぜかゴミ出しを仕切っています。たぶん巨人の星のお姉さんか家政婦さんのようにどこからか見ているんじゃないかと。

ゴミ出しがなんだかすご〜く悪いことをしているように感じるとは思いませんでした。

またどこまでが「燃えるゴミ」なのか「燃えないゴミ」なのか難しいラインのゴミがありますが、そういう時は全部燃えるゴミとして出しています。

ゴミ出し場にいるおばさんも燃えてしまえと思うことがあります。でも、おばさんはたぶん燃えないゴミです。

でもおばさんもごみ減量化には役に立っているのでしょう。だってあまりゴミ出しに行きたくないですもん。

生ゴミ処理機が欲しいなぁ〜と思う今日この頃です。




この前、親戚に「ジダンに似ている。」と言われました。

寄る年波に毛根が勝てず引き潮になり私、ちょっとハゲてきたかも知れないと認めているのですが、ジダンはないだろうと地団駄を踏みたい。

まあ昔からおでこは広かったのでという言い訳もあるのです。まあ僕は俗に言うインリンもびっくりM字型ハゲ。頭部はふさふさですが、どうも前方の方の毛の生え方が甘いのです。

でもジダンはないだろうと。

実家に帰ったらおばあちゃんがどうも僕の目を見るというよりも、
おでこの上を見ている。被害妄想かも知れませんが、被害というか現実頭皮なので、毛根は厳しいものがあります。

髪が薄くなってきた人が一度は通る道かも知れませんが、僕にもその時代が来たかと思うことがあります。

おばあちゃんに、

「わたるは野球帽は被らないのかい?」

と言われました。

たぶん僕がおばあちゃんの孫でなかったら、

「カツラは被らないのかい?」

と言われたかも知れません。

でもまだそこまでのことはない!

髪が増える帽子を被る時、おばあちゃんはこの世にいないことでしょう。

髪が先かばあさんの死が先か?人生を賭けた勝負です。今のところちょっと負け。