2004年2月21日 母のブーブー丼。
母と一緒に歩くというのが恥ずかしいというのは、男の子ならよくあると思います。女の子なら父親と歩くのはいやだとか。
親と歩くのはなんとなく恥ずかしいものだと思います。
僕は月に一度は「母とお茶の日」と題して一緒に喫茶店に行くことにしています。
しかし最近やっと母と一緒に肩を並べて歩くのは恥ずかしいことなのではないか?と思いました。
それは母が試食好きなためだからかも知れません。
試食に群がる物乞いのような母を見ていると最悪だと思うのですが、「恥ずかしいから辞めろ。」とは言えません。
それは恥ずかしいという感情を越えて面白いからであります。
デパ地下であっちで試食、こっちで試食。まるで渡り鳥のように試食をする母。
「あれ美味しい!」「あ、これはイマイチね。」
ノリがついた煎餅を試食して歯にノリがついてお歯黒になっている母。天誅したい気分です。
僕はお店の人に勧められても「すみません。結構です。」と断るのですが母は断るどころか端から端へと食べ尽くすザ・試食ベストテン!
母になぜそんなに試食をするのか聞いてみたら「研究のため。」
母は東京都町田市でKENTという喫茶店をやっています。
「オススメはブーブー丼」
ブーブーって何かと思ったら豚丼らしい。ブーブー丼はお店の看板メニューで10年以上前からあります。最近のBSE問題や鳥インフルエンザなので牛肉や鳥肉危ない。
そこで母の自信作ブーブー丼がきている…と母が思いこんでいる。「時代が来た。でもまだ改良しないといけない。そこで試食なの。」
と言って僕が毎日夜食にブーブー丼(改良版)を試食させられています。
「あんまり変わってないよ。」
「ブーブー言わないで食べなさい。」
「でもさ。変ってないけどな…」
そんな恥ずかしいギャグをギャグと思わないで言っている母。しょうがない天然には勝てないな~と今日もブーブー丼(ベータ版)を試食するはめになりました。
2004年2月18日 前髪注意の道路標識。
僕は床屋に中学の卒業式以降行っていません。自分のことは自分でするという信念にもとづいて今まで自分の髪は自分で切ってきました。
当初は「髪切ってくるからお金頂戴!」と親にウソ言って床屋代の3500円を浮かすために髪を自分で切っていたのが始まりです。そのうちその小遣いで髪専用のハサミとバリカンを買いました。
最初は失敗ばかりで、虎刈りを見た父が「ひでぇ~な。それで幾らだ?」「せん、1500円だったかな?…」
短くなり過ぎてスキンヘッドになってしまったこともあります。
「どちらさまですか?」と玄関の扉を開けた瞬間、保険の外交員のお姉さんが「わぁ!」と言って僕の髪型と言っていいのかスキンヘッドを見て「すみませんでした!」と逃げ出したこともあります。
3年前まではずっと丸刈りでした。
しかし時には鏡を二つ使用したり、スキルが向上。10年以上も切っていたので上手くなりました。それなりに自信もでてきます。
それが今回はどうでしょう。手元が滑ってどんどん短くなって、できあがりを見たら、お坊ちゃま君みたいな前髪そろえ過ぎでバカ面がより一層際立つ大変なことになりました。
子供の頃は近所のオシャレサロン照山という照山さんの所で切ってもらっていました。ばあちゃんが照山さんに「前髪は必ず揃えてください!」とお願いしていました。そこに自分の意志などありません。
今回は自分の意志でというか少年時代を思い出してこういう髪型になってしまったのでしょうか?別に笑いを取りにいっているのではありません。コイツをどうすればいいんでしょう。明日は小学校を休みたいそんな気分。
体育見学の理由「前髪」とかにしたい。
そういえば体育の時間。「生理のため」という見学理由の女子を見て「あいつ生理だってよ!!」と生理と痔の違いも分からず騒いで興奮していました。今思えば前髪が揃っているのにも関らず最低な男子でした。ごめんなさい。
2004年2月16日 見ておじゃ丸くん。
「あらあら、松田さん!お元気?」
誰かと思ったけど、選挙の時に一緒に仕事をしたおばさんだ。おばさんと言っても60歳を越えて孫もいるので本当はおばあちゃんだ。でも職場ではおばさんというカテゴラリーに強制的に属していた。
おばさんは自分の家のお婿さんのことをよく愚痴って、
「お酒とか煙草やるのよ。パチンコもやるのよ!家の娘もね。その影響でパチンコ始めちゃって。子供がかわいそう。」
若い人はあまりやらない仕事で僕が珍しいのか良くしてもらった。というか、僕が愚痴を聞いていたというか。
「まつださんは煙草もお酒もやらないのよね。偉いわ~。松田さんをお婿さんに貰えば良かった。」
心の中で僕は競馬をやりますよ。でもおばさんがそう言っている手前言えない。
だけど1年前のことなのにおばちゃんが顔を覚えていてくれたのは素直に嬉しい。
「松田さん。この前女の人と歩いていたでしょ?彼女?結婚するの?」
まったく心当たりがない。最近一緒に歩いた女性と言えば、母とばあちゃんとおばさんだ。
母はどう考えても彼女には見えないし、おばさんはいくら若く見えるといっても50歳。ばあちゃんは論外だろう。もしばあちゃんが彼女に見えたのなら僕は悲しい。
しかしこれしか心当たりがないとは気持ち悪いというか悲しく残念な26歳である。寂寥感を漂わせ思い巡らせていると、
「そんなに考えるほどガールフレンドいるの?ほら、若い子よ。若い子。若くてかわいい子。ああいうのが好きなんだ。」
若い子?あ!心当たりがあった。親戚の女の子と一緒にアルプスという喫茶店に入っておばさんを待っていた。でもおばさんは遅れるからというので、二人で先に焼肉屋に行って…。
たぶんその時見られたんだ。だけど親戚の女の子って中学2年生だよ?
まあ背が大きくて大人っぽく見える。だけどいくらなんでもロリコン過ぎる。
そんな趣味はない。もしああいうのが好きだとしても犯罪だ。いや好きじゃないけど。いやなんていうの女性として見ていないというか(当たり前だ)…自滅。
おばさんに説明するのは面倒くさいので取りあえずニコニコしていた。
「にやにやしちゃって!幸せになるのよ!お幸せにね。」
そう言っておばさんは言いたいことを言ったせいかすっきりしたような顔をして、「またね。今度は会う時は松田さんはお子さんと一緒かもね。」と言って去っていた。
どこで人が見ているか分からないので悪いことはできないなと思った。いやしてないけど。
2004年2月14日 チョコレート浅草寺。
本日もいつもと変らず電車に揺られて競馬場へ。
天気は良い。これなら良馬場だな。足取りも軽く京王線府中駅で降りて競馬場へ向かう。いつものコース。伊勢丹を通り過ぎて信号待ちをしていたら向かい側で信号待ちしているショートカットの女性が僕をずっと見ている。
手にはバレンタインデーのチョコが入っているであろう袋を下げている。ずっと見ているので不思議であった。
もしかして…。本日はお日柄も良く・・・。バレンタインデーですよね?もしかしたらもしかしちゃったりして?
告白されても困るな。だって僕は君のことしらないし。まあ友達からとかいうことにしておく?
あ~でも「あの・・・・受け取ってください。」とか表彰状を渡すように両手で渡されたらどうしちゃう?しかも彼女は上目使い。弱いな~。
でもそんな運命の出会いっていうの?あるわけないよね。っていうかこれは運命じゃないのか。彼女からの告白だもんね。ということはラブストーリーとか始まってしまう?
そんな妄想をしていたら、おじさんが僕を追いぬいて行った。信号が青に変った。僕は信号をゆっくり渡る。彼女がずっと僕を見ている気配がする。彼女に近づくにつれて彼女の顔が分かる。心臓の鼓動が早くなった。
でもこちらを見ているようだから直視できない。僕は顔を彼女とは逆方向に向けるが視線は彼女の方へ。僕が馬ならば真後ろでも見られるのに…。人間であることを僕は恨んだ。
でも頑張れば視界の端で見える。あ、これでは友達からなんて言えないかも。かわいい。
でもそんな妄想通りのことあるわけないじゃん?ほらほらもう少しで横断歩道渡り切っちゃうよ。
まあ残念だったと諦めよう?いやいや諦めるという問題ではない。僕の妄想で暴走なんだから…。上手いこと言ったかも。今日はギャグが切れてる!
ほらね。渡り来ちゃった。なにもなかった。彼女とは反対方向に体を向けて歩き出した。
「あの…。」
え!?彼女がした。僕に語りかけているようだ。これはなあに、夢?僕は左手で右手の甲を抓った(ここまで0.8秒ぐらい)
もしかして春が来た~♪春が来た♪チョコで来た?来ちゃった。岩崎恭子さんを思い出した。
「今まで生きてきた中で一番嬉しい」
よし!できるだけ二枚目の顔で振り返ろう。僕のありったけの2枚目を使おう。僕は眉間にシワを寄せダンディーな足取りで振りかえった。
「なんでしょうか?」
決まった。ブルーマウンテンのように渋い。しかもノンシュガーだ。いつもより低い声。これぞまさにザ・ダンディー。これで一生決まったな。
「なんでしょうか?」
「あのー南武線の府中本町の駅はどう行けば?」
「はぁ?」
「あ、府中本町の駅です。」
「そういうことですか。」
僕はよく道を尋ねられる。薄々道を聞かれるのではないかと思っていたが…。でた言葉が「そういうことですか。」がっかりである。自分にだが…。
「逆方向です。そちらにあるのは京王線府中駅で南武線の府中本町へはですね。そこの神社をですね…。」
「あ、どうもありがとうございます。」
もう望みはない。僕にあるのは競馬だけだ。競馬場へとチョコチョコと短い足で向かった。
2004年2月12日 あの日のシシ丸先生。
本屋のレジで会計をしていると、「ちょっと、ちょっと」とレジのおばちゃんに声をかけられた。
万引きをした訳でもない。声を掛けられるようなことをした憶えがない。おばちゃんの顔を見た。「わたるくんでしょ?先生。小俣先生。小学校の時の・・・・。」
僕の全身に懐かしさが電流のように広がった。丸顔で笑うとその丸顔の眉間にシワが寄って忍者ハットリ君に出てくる犬のシシ丸に似ているので「シシ丸!シシ丸!」と小学2年生の時に言っていた。
「あ、シシ丸先生!」
僕は思わずそう言ってしまった。先生は苦笑いして「そうそう。シシ丸先生よ。」声色なんて覚えている訳無いのにあの頃と声が変っていないと思った。
「懐かしいわ。わたる君、変っていないからすぐ分かったわ。」
「そうですか。先生もすぐ分かりましたよ。」
「あら、そう?シシ丸に似ているせいじゃない?」
「先生はここで働いているんですか?」
「うん。そうなのよ~。」
そんな会話をしていたら「あの~。会計をしたいんですけど…」と僕の後ろに並んでいる女の人に言われた。
「それじゃ!先生。」と立ち去ろうとしたら、「わたる君、買った本忘れている。そういうところ変ってないね~。」「そうだ。急いでいないのなら、もうすぐ休憩になるから、そこのドートルでちょっと懐かしい話ししましょうよ。」
僕がドトールでカフェラテを飲んでいたら先生が来た。幼稚園の先生をしている時にはふっくらしていたと思う。本屋で話している時には気づかなかったけど、だいぶ痩せたな~と思ったし、たしか47歳ぐらいだと思ったけど所々にある白髪が目立つせいか年齢よりも老けて見えた。
先生と昔話をした。20年前のこととはいえ結構憶えているものだ。
「そういえば先生。子供が産まれるとかで小学校を辞めたんですよね?皆戻ってくるかな~とか言っていましたよ。」
「男だったんですか?女だったんですか?もうだいぶ大きいでしょうね~。20歳ぐらいになりますよね?」
愛嬌のある先生の丸顔から愛嬌が一瞬消えた。聞いてはいけないことを聞いてしまったと思った。
「そうよ。もう20歳になるはずだったのよ…」
”はず”だったとはどういうことか?怪訝な顔をしていたら、先生が会話を続けた。
「そうはずだったのだけど…死んじゃったのよね。」
死んじゃったという言葉を先生は笑顔に輪をかけたような笑顔で言ったがそれが逆に心に沁みた。
「産まれた頃から病気の子だったの。10歳の時にね。死んじゃったのよ。」
親身そうな顔をするのが精一杯で気の利いた言葉が出てこない自分を恨んだ。
先生は「ごめんね。」そう言った。しかし先生の視線は僕を見ていなかった。
「ごめんね。そうか。今、元気だったら20歳よ。そう丁度ね。」
そう丁度ね。と言った後、先生は僕に視線を戻し、
「でも先生にはかわいい生徒がいっぱいいたから大丈夫よ!」
明るく話そうとしている先生をみるほど悲しくなる。先生の実年齢よりも老けて見える顔からその苦労がわかるようだった。会わなければ良かった用事がありますと帰れば良かったなと後悔した。
「先生はまた先生をやらないんですか?きっと先生なら今の荒んだ教育を変えることができますよ。」
冗談半分でそう言った。シシ丸先生が、
「お世辞を言える生徒を持っただけで満足よ。」
先生はあの日で止まっているんだろう。神様がそうしたんだろう。そう思って先生とさよならした。
2004年2月9日 孫に甘い老人のようなフルーツ。
酸っぱいものも甘くなる
ミラクルフルーツなるものを購入しました。
赤い実を噛み砕き舌全体に触るように1~2分舐め種を出します。その後、よりすっぱいものから食べてくださいと書いてありました。効果は個人差があるが約2時間。
ということで僕が用意した酸っぱいものはこちら。
第1のコース!レモン選手。第2のコース!トマト選手。第3のコース!ヨーグルト選手。第4のコース!もずく酢選手。以上4名の選手他に特別招待選手として…。
ポン酢選手が待機しております。ではまず第1のコースのレモン選手から食べてみました。なんと甘いではないですか。あのレモンが甘いではないですか。
よし続けて、トマトに行こうと思ったんですが、トマトはレモンが甘かったのでたぶん想像できる甘さだ。それでは面白くない!
そこでちょっとワイルドで危険かも知れない、もずく酢選手を食べてみました。たぶん僕が想像するにもずく酢は杏仁豆腐のシロップのようになっているだろう。そう思ってもずくを根こそぎぐっと飲んだ!
もずく口から噴出しちゃったがな!
こうなったらヤケクソだ!ポン酢飲んじゃおう。ジュースのように飲んじゃおう。
ゴクゴクゴク。
飲めへん。かあちゃんゴメン。オラが悪かった。
酸っぱいとかじゃなくってショッパイ。人生のようにショッパイ!普通に死ぬ。ミラクルフルーツといえども、ポン酢ともずく酢はダメでした。
ってことでトマトとヨーグルトを食べました。うんうん甘い。でもやはりレモンだな~。
こんなに食べました。普通こんなに食べられませんよね?
甘いというかグレープフルーツのような感じにはなるんですが、問題は味じゃない。唇にしみる。乾燥して唇が切れているのかしみます。ものごっついシミマス。唇にミラクルフルーツは効かなかった!レモンを食べている時に鼻水がでてきました。
でも完食した。僕は頑張ったよ。すご~く頑張った。そのように褒めてください。しかもこのミラクルフルーツは1粒800円もします。
高いがな!!!!
しかも食べ終わったとお腹が痛くなりました。
レモン50個分のビタミンCとかありますが、本当にレモン50個食べたら体調が悪くなる。今回そう思いました。
パーティーグッツとしてプレゼントに面白いかも知れません。
良い子の皆さんはポン酢とか醤油など飲まないようにしてください。醤油は流石に僕もしませんでした。
2004年2月9日 みかんの大器。
縁担ぎとでもいいましょうか。毎日これがなければ、これをしなければ落ち着かないということがあります。
機嫌はいつもすこぶるさわやか良い方なのですが、トマトを食べない日は機嫌が悪い。僕に流れている血の半分はトマトでできている。それぐらいトマト好きなんです。
例え機嫌が良い日でも、トマトを食べていないと分かると機嫌が悪くなります。僕にとってトマト一種の精神安定剤なんです。
毎朝腰に手を当てて太陽に向かってトマトを丸かじり。これで僕の1日は安泰です。
もう一つ僕がこれがなければということは、物心つく前から使用している食べ物みかんです。
でもその蜜柑は使用するんです。食べません。お供え物のように蜜柑を枕の上に置いて寝ます。母に聞いたところ2歳ぐらいそのような変態行為ではなくて、変った行為、俗にいう変態行為をしています。
なぜ蜜柑を枕元に置いているかといいますと、僕は既に死んでいるからです。
というのではなくて、災害などやいきなりミサイルが飛んできて生き埋めになってしまった場合に蜜柑が側にあれば、しのげる。そう思っているからです。
まあこの理由はあとづけの理由で本当の所は物心付く前からのことなんで自分でも摩訶不思議な行為なんです。もしかして宇宙人?そろそろ宇宙に帰りましょうか。
ただ一つ確かなことは僕にとっては蜜柑は大切なパートナー。蜜柑なくしては生きてはいけない。
しかし蜜柑がない困った季節もあります。その時はみかんの缶詰を枕の上に置いて寝ます。でも缶きりは置かない。物心つく前からのことなんで許してください。
寝ようとする時にいきなりポケットから蜜柑を取り出す。死人へのお供え物みたいで気持ち悪いかも知れませんが、みかんが原因でみかん離婚になったら悲しいので奥さんになる人は僕よりみかんを心から愛せる人。みかんな僕を愛せる人。それが理想です。
2004年2月6日 祖母とカフェ。
長野県、大町という田舎で生まれ育ち、戦時中にも関わらず15歳の時に単身東京の学校に出てきた大正最後の年生まれ、78歳の祖母はぞくに言う、はいからさんなんです。
祖母と買い物に行くと大袈裟に言えば、100歩歩く度に喫茶店に入るんです。しかしそれは喫茶店と言うのでなく、祖母に言わせれば「カフェ」という物なのかと思います。
しかも発音はフランス語ふうで「カフェ」
喫茶店を見つけると祖母は一服しようとすぐ言います。別段足が弱いとかではなく、たんにカフェ好き。お茶好きなんだと思います。
最近では、スターバックスカフェ・アフタヌーンティー・ドトールコーヒーなどの所謂カフェがあります。シアトル系とかいろいろ流行がありますね。僕はその辺りのことはウトイので分かりません。
この前、青山にある何という名前がど忘れしましたが、カフェに入ったんです。そのカフェは昼過ぎなのにJAZZが流れているんです。最近はそんなお洒落なカフェもあるみたいで。
「おら田舎者にはびっくりだべぇ~。じゃずだべぇ~!」
と、僕は挙動不審になり。
光がこれでもかと射しこむガラス張りのカフェで。外で歩いている人から見られているように感じでマネキンになった気分。店内に座っている僕らが何だか恥ずかしくなるそんなカフェなんです。
祖母の基準ではそれら若者のカフェはカフェじゃないようです。
そのようなカフェは「忙しい」という理由からだと思います。
僕が思うには、若者ばかりだからというのではなく、建物が洋風チックなのが祖母のカフェのイメージとは合わないんでしょう。
今時のカフェとは、一服するというそのような作りよりも、見た目を重視してよりお洒落な設計になっているような気がするんです。喫茶店で一服するという目的が変わってきたのかも知れませんね。
僕も一応、まだ若者のはしくれですが忙しいと思うのです。スターバックスカフェで、何時間も談笑する気にはなりませんし。本も読む気には僕はなりません。
祖母がご贔屓の喫茶店は、和風テーストを残しながらの洋風。もっと分かりやすく言えば、ビーフストロガノフもあるけど、ラーメンもあるよ。オムライスは美味しいよ!!というような洋食屋さんのような喫茶店。
祖母の発音でいうと「きっちゃってん」
いかに心落ち着くかなんだと思うんです。
祖母はそんな心落ち着く喫茶店に入り、煙草を1本吸い一口コーヒーを飲んで…
「ワタル。でるよ。さあ行こう。」
僕はコーヒーは飲めないので、カフェで頼む定番のアイスティー(あればアールグレイの)をまだ半分も飲んでいないんですが…。
「忙しい」
これ、家の祖母のことだと思うんです。そんなこと言えないんですけどね~。せっかちで短気な祖母に黙殺されるので。
家の祖母はハイカラさんですから。まあそこが祖母のいい所、チャームポイントなのかな~と思っています。
2004年2月4日 とびますますますとびます折りこみ広告で…。
母がちょっとちょっとと言って広告を持ってきた。
「お父さんにプレゼントしたテンピュールの枕が2980円よ。」
おっとショックであります!!テンピュールの枕といえば、寝心地最高夢心地。それを使えば宇宙へGO!僕が無け無しの14000円も叩いて買った父への
お誕生日プレゼントじゃないですか。
それがズバリ!2980円。
私達家族は昔から買い物下手でした。悩んで悩んで買ったイタリー制の机とイス。8人用の机は大き過ぎるからと言って父がのこぎりで半分に切ってしまい4人用に。冬になるとフローリングにカーペットを敷いてコタツを出します。
小さな家ですからイタリーの机が邪魔になりました。そこでさらにゴキゴキとのこぎりで半分の二人用。
最終的には捨ててしまったのはいい思い出です。買い物下手は遺伝なのです。
やっちまってぜぇ!と広告をよ~く見たら、横のエルメス。ズバリ2980円??
エルメスのバーキンっていえば女の人の憧れですよ。憧れが2980円なんておかしくないですか?キムタクに似ている人が5000万人ぐらいいるってことと同じことですよ?
そんなバナナですよ。
○メってあるのはメーカー小売り価格45000円。それが2980円ってデフレもデフレ。これを作っている職人さんは一生懸命一生懸命作ったんですよ。時には子供のことを想い、時にはこれが売れれば明日は病気のサチコにケーキを買って帰れるな~。待ってろよ待ってろよサチコ!!!
作っている人のことも考えろっていう話です。生活がかかっているんだ!単価いくらだって話です。
さらによ~く見ると【エルメスのバーキン
タイプ】タイプ??なんじゃこりゃ~です。ということは、キムタクタイプってことですよね?モビルスーツか韓国人?金拓さん?そんなにキムタクさんに似ている人がいたら僕は僕はさちこさ~ん!(それ誰だよ)
テンピュールもよく見ると、タイプってなってます。もともとが18000円って僕の買ったテンピュールよりお値段が高いではないですか!!こんなことモハメッドありですか?
これは悪く言えば偽者ってことじゃないですか?ビックリマンチョコが流行った頃、裏を見たら
ロッチ。テじゃなくてチかいな。午じゃなくって牛みたいな。ちょと出てるみたいな。
中学校の音楽のテストで、シとツの違いが分からずごまかして「しゅうベルト」と書いて正解だったのは僕です。そうかこの広告もそれか!ぱくりやがったか。
「あのやまとなでしこ松嶋菜々子の裏ビデオ発見!」とかと同じじゃないですか!「やまとなでしこしこ」似てるだけってヤツ。ふぅ~危なく騙されるところだったと安堵していたら、
母がニコニコして「実はこの広告のテンピュールの枕を買ってきちゃった。」
55歳。母は寝る前なのに既に天国に行っているらしいのでズバリ本物のテンピュール枕より飛んでます。
2004年2月2日 優しいだけじゃダメなの。太っていないと…。
祖母がお前のむかしの写真がでてきたと言って持ってきました。
イメージアップ戦略。人はここまで変るのか。それから約12年後。15歳の自分です。
写真を見て家族で大笑い。こんなに大きく育ちました。当時110キロありました。イメージダウン戦略です。エサを食べ過ぎました。
スリーサイズは上から110・110・110という職人技としか思えない規則正しいスリーサイズ。ポーカーなら最強です。
右側の写真に写っているおばさんとは年齢が9つ離れているんですが、「お兄さんですか?」と言われたものです。オーストラリアにいたので「ヤクザノカタデスカ?」と片言の日本語で話しかけられたり、相撲部屋からスカウトが来りしたこともいい思いでです。
あだ名が「アニキ」でした。中学生の頃の部活を選択するときに第一希望「デ部」第2希望「ひで部」第三希望「得意技はマット運動部」と書いて怒られたこともあります。笑いを取れないデブはただのデブ。そんなアニメありましたね。
そして現在…。
まつだ☆わたる(☆を忘れずに)になったりしたら面白かったんですが、50キロ痩せ体重が60キロになりました。
→→現在→→
キングスライムみたい。怪物から人間へ。ロバートデニーロもびっくりな役者魂。そう僕は人生を演じているのです。
これで私も痩せましたという宣伝みたいだな~。
痩せたんですが人間的に面白くなくなってしまいました。太っている人は優しいというのあれは本当です。
太っている時の写真はなぜかほとんど笑顔でした。デブの真顔は恐いために常に笑っていないと「怒っているの?」「機嫌悪いの?」と聞かれたためだと思われます。
自分も優しい面白い人でした。過去形なのは、人というのは体型と共に性格も変るのでしょうね。今は鬼です。
しかし写真というのはいいですね。家族で僕をネタにして大笑いできました。さて今度は禿げようか。
僕も子供ができたら写真やらビデオをたくさん撮りたい。
ウェブを汚してすみませんでした。ダイエットに興味がある方はメールを頂ければメニューを組みます。お気軽にどうぞ!(なんか別のサイトみたい)
またあの頃君はこうだったというのも募集します。sokoni夫kimiita.orgまでメールをください。夫の所を奥方に変えてください。掲載しないで一人でこっそり楽しみます。笑いますので…。なんて!でもそのような「人に歴史あり」という企画は面白いかも知れませんね。
2004年2月1日 おちゃおちゃしてられない。
風邪を引いていました。
風邪薬を飲むとき母に「薬はお茶で飲むと効かないよ。」と言われた。お茶は薬とも合うような気がしていたけどそうではなかったんですね。
お茶といえばヘルシア緑茶を飲んでいる人をよく見かける。しかしまだ効力はでていないみたい。まあ飲んですぐゲッソリ痩せたりしたらそれは恐いけど。下剤入りお茶??
お茶ブームの昨今。例えばこんなお茶を考えてみた。
【好きになる茶!(うる星やつらのラムちゃんふう)】
効力は「これを飲んで最初に会話をした人と恋に落ちる。」
バレンタインデーのチョコと一緒にこの「好きになる茶!」をプレゼント。ここを見ている企業の皆さん!どうですか?
ただこの好きになる茶!を飲み過ぎるとオヤジギャグが酷くなる副作用が。
紅茶を買おうとデパートの紅茶売り場に行ったらおばちゃんが「ティーバックのあります?」と店員さんに聞いていました。
「この葉のティーバック。」
売り場違い??ティーパックじゃないんですか?いったいどっちのパンツショー?
もしかしてお尻のカタチをしているの?どの辺りからお茶が出るの?これがホントのローズヒップティー?
僕は両手を耳に持っていって聞こえないフリをしようかと思いました。なんという失態!想像した自分が恥ずかしいし情けない。
その後、若い女の店員さんが「こちらのティーバックなら御座います。」と言ったのを聞いてこれが正解!不覚に心の中でガッテンボタンを猿のように連打してしまいました。
2004年1月29日 サインコサインバレンタイン。
デパ地下に甘い物を買いに行ったら、「しまった!」
バレンタインデーだらけになっていました。
この時期のデパ地下は、女性の下着売り場に入ったようなそんな感じでいるだけで恥ずかしい。
「チョコレートケーキとか買わんとこう」「あんこもチョコの仲間?」とか。この時期は男一匹なんとなくデパ地下でお菓子を買うのが恥ずかしい。
売り場のお姉さんの視線が突き刺さる。「違うんだ!僕は純粋に甘い物が食べたいだけなんだ!」「ぼくだってチョコぐらい貰えるさ!!買うもんか!!愛はお金では買えないんだぁ!」と僕は心の中で強がる。
でもそういう時に限ってあま~い物が食べたくなるというのが乙女心じゃあ~りませんか?what's
otome!?
ということで、勇気のない僕は母に頼んで仕事の帰りに「チョコのシブースト」を買ってきてもらうことにしました。(母も食べるというので割り勘。狙い通り。)
夕食後、母が買ってきた「チョコのシブースト」を食べようと思い袋から取り出したら、バレンタインデー用にラッピングされていて、真ん中に「LOVE」と書いてありました。
滅茶苦茶にLOVEのラッピングを破って、
「わたし!!恋よりも本当の幸せをつかむんだもん!負けないわぁ!」
ということもなく普通に食べました。
一足早いバレン痛いんでーでした。
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