3週間前にETさんとETさんのお父さんこと、あんぱぱさんと僕の3人でお食事会をしました。
話はそれますが、なぜあんぱぱさんと言うのかといいますとETさんはあんぱんまんに似ているのでそのお父さんということでそういうハンドルネームになったらしいです。
正確にはジャムおじさんになるんだと思います。
話を戻します。
相手方のお父さんとお話をする時は緊張をするものなんでしょうか?何を話していいのか分からなかったり。
見つめあう二人。いや、目が合った瞬間、羞恥心にさいまなられ、
「とりあえず踊りますか?」
「朝青龍ってどうなんですかね?」
という会話になったり。
しかしそういうことはありませんでした。たぶんこれはブログをやっているからかも知れません。
あんぱぱさんブログを運営なさっています。
【LINK】お話によりますと、一日の20時間ほどはブログのネタを考えているそうです。
僕もあんぱぱさんには負けますが以前は18時間ほど考えていました。今は2秒です。
「家の内装を変えたのですか?」
「あの文章のオチがいいですね。」
「最近更新してますね〜!」
他人がみたら「隣りオフ会?」と思うかも知れません。でも今後、このようなことは増えてくるのかも知れませんね。
一緒に住んでいるのに会話のない夫婦とか。ブログにコメント残したり。
遠く離れた祖父祖母に孫の顔を見せるためのブログ。
かわいいかわいいと思って孫の写真が載っているブログを見て、たまに会ってみたら凄く孫がブサイクで戸惑ったり。
またありえないほど臭かったり。
臭いとか分かりませんからね。って違うかそれは。
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ねずみといえばミッキーだけれど、これからはレミーです。レミーのおいしいレストランはここ最近見た映画の中で一番楽しい映画でした。
ストーリーを簡単に説明しますと、料理人に憧れたネズミのレミーが、人種差別を受けながらも、強くたくましく周富徳のように脱税し、ちょっと工夫でこのうまさで経営不振に陥っている店をプロデュースし、ラーメン店、中村家のように成功していくというストーリーであったりなかったりします。
くどいですが昔から僕の日記はこんな感じでルーさんみたいにくどいです。ひどいのは日本語だけでくどいという救いようのない所。
レミーは人間の言葉は理解できるけれど、言葉は喋れないという所がこの映画の良さを惹きだしています。
僕はアニメを見て初めて泣きそうになりました。いやウソです。3歳ぐらいの時にラスカル見て泣いた。
僕はねずみが大嫌いでこの映画も妙にねずみがリアルで最初は我慢して見ていましたが、痛いの我慢していたら気持ちよくなった感じでした。
まあ最近日記を書いていなかったので映画の良さを上手く表現できませんが、僕の日記よりも数段楽しい映画ということで勘弁してください。
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祖父が亡くなって、いや死んで4ヶ月が経とうとしています。祖父は死んだ時、財産など見事に何も残しませんでしたが、20年前に図書館で借りて返してない本だけは残っていました。
祖父は読書家でしたが死んだ後に残っていた本は数冊でした。
その中にコーヒーを零してできたシミがついている本、中勘助の「銀の匙」がありました。単行本で古本で10円で売っているものです。
この本は自分で買ったようです。
遺産らしい遺産は10円、そんなものです。
なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽匣から見つけた銀の匙。伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした少年時代の思い出を、中勘助(一八八五‐一九六五)が自伝風に綴ったこの作品には、子ども自身の感情世界が素直に描きだされている。
おじいちゃんには兄がいました。
銀の匙の初版本は価値があり、現在10万円以上の値がついています。
70年前でも貴重だったためお兄さんは銀の匙の初版本を大切にしていました。
その本を70年前のおじいちゃんがお兄さんに無断で売ってしまいました。
やがてお兄さんは学者になり本を買いなおします。
お兄さんは買いなおした銀の匙の裏表紙にこう書きました。
「暢(祖父の名前)が儲けし銀の匙、緝(兄の名前)○○○銀の匙」
○の部分は何が書いてあったのか忘れました。肝心な部分を忘れるのが僕らしいといえばらしいです。
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参議院選挙がありましたが、もし僕に選挙資金があれば僕の父を立候補させたいな〜とETさんと話していました。
父の口癖は「オレはダイクマのハンマー1個で今の工場を始めたんだ。」
その工場は3ミリ程度の大きさです。
誰かと話しているときに調子が良くなると「ダイクマのハンマー1個で始めた!」
ダイクマというのはディスカウントショップなんですが、父以上にダイクマを宣伝している人はいないと思われます。
父は何かにつけて「いや〜僕は運動部ですからね。」
脳味噌が若干筋肉です。でも小太りです。
そして調子に乗ってくると、「オレがぶん殴ってやる。」
その後に必ずいうのが「オレはもう年だから息子二人が抑えて俺がぶん殴ってやる。」
僕はいやです。
このような人がもし選挙に出たらとETさんと話していました。選挙のポスターには、
「政界をぶんなぐってやる!松田ただし!」
うつくしい国日本といい勝負です。負けていません。
昔は父はこんなんではなかったのですが、小さな工場をやるようになって典型的な町工場のオヤジになったようです。
職業が人を変えてしまったいい典型です。
しかしそのお陰で僕は今こうして立派にインターネットで日記が書ける子に育ちました。
そして僕は今後どんな人間になるのでしょうか?日本はどう変わり行くのでしょうか?
「オレはIBMのパソコン1台で始めたんだ!」
僕もそういっているのかも知れません。そしてパソコンはハンマーのような価値のものになっているのかも知れません。