実家には月に1、2回ほど帰ります。
その時にちょっとした手土産を持っていきます。今回人数分のおはぎ3個、道明寺3個、合わせて6個持っていきました。
不景気ですから一人一個ずつ。
お土産、まずはおばあちゃんに見せます。最初に見せないと機嫌が悪くなります。
おばあちゃんは自分の部屋で一人で食事をしています。
「おばあちゃんどっち食べる。おはぎと道明寺。」と朝子さんことETさんが聞いたところ、「う〜ん」と悩んでいます。
僕はまずいと思いました。このばあさん二つ食べる気じゃないかと。
一人一個。人数分しか買ってきていません。
大腸ガンになって手術してからというもの、直腸になりまして食べても食べてもお腹がすくらしいのです。
「う〜ん」と84歳のおばあちゃんまだ悩んでいます。まるで人生最後の悩みのようです。亡くなったら墓におはぎを供えるから本当にそろそろ最後にしてくれという感じです。
無駄に長生きです。
そこでETさんが「おばあちゃんどっちも食べたらいいよ。」
「いや悪いでしょ?」ということもなく「じゃあどっちも食べる。」
そう言って第二次世界大戦を体験した祖母は二つ取りました。よって一人は食べられなくなりました。ETさんの優しさでしょうが、それは一人死ぬことになります。
優しさは時に一人おはぎを食えなくします。
ETさんが優しさから生まれた罪悪感からか、「わたしいらない。」と言ったところ、僕の父が「オレ酒飲んだからいいや。みんな食え。」
ここはオレが守る。みんな先に行け!というような有無も言わせない表情でした。
初めてです。父のそんな表情をみたのは。父の人生は祖母に食われている。そんな気がしてなりません。
もしかしたら父よりも祖母の方が長生きするんじゃないかと。もしそうなったらばあさんの面倒を見るのは…。
神様、我が家は生態系が壊れかけています。お墓におはぎをちゃんとお供え致しますので順番通りに天に召してやってください。宜しくお願い致します。
例えばずっと"いばらぎ"さんだと思っていたのが実は"いばらき"さんだと言うことを知っても、"いばらぎ"さんで憶えてしまい、直らないってことありませんか?
ETさんの妹さんに去年の夏に子供が産れたんです。
まだ名前もついていない頃に、写真を送ってもらって「お父さん似かな?お母さん似かな?」とETさんと話していたんです。
ETさんが「ガッツに似ている。。。」僕が「ガッツってバナナの?」
その後、立派な名前がついたのですがこれが困ったことに思い出せません。
ETさんが、「ほら新しい写真」と見せてくれるんですが僕は、「あ、ガッツくん。」と言ったらETさんが「ダメだよ。ガッツなんて言っちゃ。妹に怒られる。」
と言われてもETさんあなたのせいです。直りません。直したいんですよ。でも本当の名前というか名前を思い出すのに30秒ほど掛かります。
6回ほど思い出せばカップ麺ができます。
しょうがないのでガッツはガッツでも巨人の小笠原でいいんじゃないでしょうか?
でもなんで怒られるんでしょうか?ガッツ石松は世界チャンピョンですよ。そういう問題じゃないか。
赤ちゃんの新しい写真が送られてきました。日々成長しているようです。
「朝青龍に似てるね。」
これ以上、僕を混乱させないでください。