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2004年10月29日(金)0:33

僕は昔から収集癖があり集め出したらどうにも止まらない、正直誰か止めてくれ俺をという所があります。

ビックリマンチョコもこの通りひどいことになっています。いつか価値が出るんじゃないか、困ったら売ろうとかいうことも考えて20年以上も大切に保管しています。

スーパーゼウス
ヤマトバクシン
ビックリマンシール

そしてETさんの「チョコエッグ凄いんだよ。」という一言で僕の収集癖に三度火がつきました。最初に開けたチョコエッグの中身がバケダラというおたまじゃくしみたいな生き物で絶対に誰も欲しがらないであろう物でした。しかも不良品だったのです。

ETさんのチョコエッグには【ムササビ】が入っていました。明かにムササビの方が格好がいい訳で、ETさんに「お願いします。変えてください。何でもします。」と言ったのですが無理でした。

あまりにも悔しいので帰り一人でコンビニに立ち寄ってチョコエッグを再び買いました。当初、大人げないよな〜。と思ったのですがチョコエッグの箱を振ってみたところいい音がしました。これはたぶん良い物が入っているな。

そのチョコエッグにはETさんと「クマが一番いいよね。」と言っていた「ツキノワグマ」が入っていたのです。

嬉しくて嬉しくてしょうがない。アホだと言ってくれ。オレをアホだと言ってくれ。それでいい。僕はクマを当てたんだ。

チョコエッグ

それも自分でクマを組み立てられたんです。

今まで収集癖がある僕がなぜチョコエッグを集めなかったのかというとプラモデルが大の苦手だからでした。壊すのは得意なのですが組み立てるということが子供の頃からできません。

小学生の頃にガンダムが流行ったのですが、僕が作ったガンダムは病人みたいでした。

チョコエッグは組み立てないといけないのです。それが僕にはできないと思っていたから今まで指をくわえて見ているだけだったのですが、今回勇気を出して組み立ててみたら意外と簡単にできました。いや、僕も成長したのでしょう。

しかし一番の問題はチョコがどうしても余ってしまうのです。家に帰って溶かしてチョコミルクにしてみたんですが意外に美味しかったのでお奨めします。

次ぎに欲しいのは色合いが素敵なハロウェルアマガエルです。もっと欲しいのはETさんが持っていた唄うパペットです。手を入れてパペットすると音がでる。くれ。それをおくれ。ウェブからおくれ攻撃。

2004年10月21日(木)22:22

ジョギングをする前に水飲み場の上に置いた帽子が盗まれました。約10年ジョギングをしていますが盗まれたのは初めてのことです。

なぜあんなに汚い僕の汗の臭いが染みついている帽子を盗んだのかと思うんです。

しかし心当たりがあるのです。ジョギングをしている時にホームレスがウロウロしていました。それも見知らぬホームレスです。

毎日ジョギングをしていたためホームレスの顔は知っています。

以前、ホームレスの老人が高校生ぐらいの若者に絡まれていたので「お前ら、それぐらいにしておけよ。」と言ったことがあります。

その後、駅で僕を見つける度に「あにき!!!」と呼んで酸っぱい臭いを漂わせて近寄ってきました。ホームレスのおじちゃんは老人なので僕をアニキを呼ぶのはおかしなことなので、駅にいた周りの人からは恐い人だと思われたことでしょう。

「アニキ、これ食べな。」

そう言ってどこから拾ってきたのか分からない食物をくれます。僕が食べないと、「アニキ、お腹が空いてないの?」その時、むやみに人を救うものではないなと思いました。

そんなこんなんでいつでもホームレスになれるぐらい、ホームレスの方のことを熟知していたのですが今回ジョギング中に見たホームレスは新顔でした。

でもその時はまさか自分の帽子が盗まれているとは思わず、なんだろうあのホームレスはと思いジョギングを続けていました。

盗まれたことに気付いてそのホームレスを探して見たのですが見当たりませんでした。また見つかった所で問いただしても何も証拠がないのです。

証拠がないのに疑うことはよくないことだと思います。だから盗んだのは彼ではなくて僕の密かなファンの女子大生がたまらずまつだわたるグッツが欲しくなり盗んでしまったと思うことにしています。

「前からずっと好きでした。帽子ください。」

そう言ってくだされば、慣れないサイン付きでプレゼントしたのに残念でなりません。

2004年10月21日(木)1:22

深夜、携帯に電話があると何かあったんじゃないかと思う。

先ほど携帯に電話があった。びっくとして着信の名前を見てちょっと残念だったりしてでも心配な人からだった。

伯母さんだった。

「もしもし」

「あ!お兄ちゃん。」

電話にでると伯母さんの娘だった。なんで娘がでるんだ。伯母さんの携帯なのに何かあったのか?

「なにかあったの?大丈夫?」

「ねぇ。お兄ちゃん。サクラコに来た?」

サクラコというのは娘がバイトをしている所だ。行った憶えがないので、

「行ってないけど?」

「おばあちゃんがね。お兄ちゃんがサクラコに来てオレに無視されたって言っていたっていうから。」

「行ってないけどな〜?」

「オラが気付かなかったのかなと思って。」

「行ってないけどな〜?」

「そうだよね。お兄ちゃんのこと無視するわけないから・・・・。」

僕は伯母さんの娘を妹のような感じで思っている。

「お兄ちゃん行く時は黙って行くかも知れないけれどアフロヘヤーのズラ被ったりして行くから、すぐ分かるけどな〜。行ってないけどな〜?」

「でもね。おばあちゃんがワタルは来て無視されたって怒ってたって。」

「行ってないけどな〜?お兄ちゃんなんか別のことかと思って心配したよ。こんな夜遅く電話だったから。」

「あ〜、なんか気持ち悪くて。オラは無視するわけないし。それじゃ〜おやすみ。」

女の子なのにオラとかオレとかいう。まあそれはさて置きついにばあちゃんがボケたかと思った。

5年ほど前にスケボーをやって落ちて腰を打ち、自動車に乗ってドアを閉める時に足を挟んで足を痛めて以来、歩くスピードが遅くはなったがそれ以外は辞めてくださいというぐらい達者なばあさんだ。

それがだ。ボケたのか。

でも1度ばあちゃんがボケたと思ったことがあった。祖母が20年ほど前に風邪で高熱を出した時、「ばあちゃん大丈夫?」と部屋に行ったら「そこにある寿司を食べな。」

どこを見回しても寿司はない。「ばあちゃん寿司なんてないよ。」「ほらせっかく買ってきたんだから食べなさい!」

どこを見回しても寿司はない。でも僕は寿司を食べないといけないと思って食べるフリをした。

「ばあちゃん美味しいよ。」「今何を食べたんだい?」「え!?え〜と、いかかな?うんいか。」

「イカなんて無いはずだよ。お寿司頼む時に歯が悪いからイカはいれないでって頼んだはずだから。」

「あ、ばあちゃんごめん。タコだった。」

「タコも堅いから頼んでないはずだ。」

「でもタコ入ってたもん。」

「お寿司店の板さんに文句言わないとね。ワタル電話取って。」

僕は焦った。電話なんてされたらどうしていいか分からない。

「ばばばばば、ばあちゃん。実はね。こっそりタコ僕が頼んだんだよ。ほら出前頼む時に僕が横からタコタコ!って言ってたよ。」

「う〜ん?」

「ばあちゃん風邪だし寝た方がいいよ。」

「それよりワタル、そこにあるステーキ食べなさい。」

「うん。わ!すごいステーキだ!」

もうこの時は困ったも何も、僕は子供なりにばあちゃん危険だなと思って話を合わせた。でもその時のボケはその時だけで治った。

その時のボケは僕を溺愛するボケだった。

「ワタルもっと食べな。ワタルもっと食べな。」

僕は見えない寿司を相手にシャドウイートしていた。

「おばあちゃん美味しいよ。おばあちゃん美味しいよ。」

これが僕の原点でもある。人から好かれるのが苦手だ。たとえ家族でも苦手だ。そんな経験があったからかも知れない。

でも今回は…。僕は伯母さんの娘のアルバイト先の半径20キロ以内にも近寄っていないし、どういう具合なのか。

あの頃は純粋無垢な優しいワタル君だったが今は違う。ボケてもその話になんてついていけない。

もしかしたらこれは試練なのかも知れない。ばあちゃんという試練を乗り越えた時、僕は人として男として…。

僕の方が確実にボケている気がします。しかしなぜなのか祖母にはいろいろな意味で怖くて聞けません。

2004年10月19日(火)0:44

日曜日に試験を受けたのですがまったくできませんでした。そんなこともあって僕も27歳になり将来に一抹の不安がでてきたので、愚痴も含めて母とリビングで話していました。

以前市役所で働いていた時に、僕のことを気に入ってくれた方がゴミ収拾車に乗る仕事を紹介してくれました。

給料は月に30万円以上貰えますしゴミ収集公務員といって将来も保証されていました。だけど少しだけ勤務してそれを断ってしまいました。

みんなになりたくてもなれない仕事だし「勿体無いな。」と言われました。

そういうことを母と話していました。「あなた人当たりだけはいいからね。うちのお父さんは結婚した時、ジャズピアノ弾いていて今は板金屋だもん。人生どうにかなるのよ。」

「ほんとどうにかなるのかな〜?」

「上を向いていると何か見つかるものよ。」

母にしては珍しく哲学的なことを言うなと思ったら…。

「電車の中吊り広告とかあるじゃない。」

「うんあるね。」何かいやな予感がしたのですが会話に乗ってみました。

「あれは暇つぶしになるわね〜。」

母さん話が論点から外れているような気がするんですが?話の論点は僕の将来ですよ。

「でもずっと上を向いていても首が痛くなる。」

どんどん母は別の方向へと走って行きます。

「そういえば、アツシ(弟)がバイクの免許取るときお金かかったね〜。」

母さん何の話ですか?

「そこの自動車学校に糸井先生というのがいてね。私もその先生に教わって、アツシの授業料払いこむ時に糸井先生いますか?ってきいたの。」

「あ、そう。」

「糸井先生は独立して学校をやっているそうよ。」

僕もこのままではストレスが溜まったままなので話を戻そうと思いまして、

「甘えているかも知れないけど自分のやりたいこと探すの大変だな〜と」

「お父さんはね。結婚する時、ジャズピアノを弾いていてね。」

「うんそれで?」

「今は板金屋さんんでね。」

「で、おじさん(父のこと)はどうしてこの仕事をしたのかね?」

「ダイクマでトンカチ1本買って始めたんだから。」

「それおじさん毎回言うよ。オレはダイクマでトンカチ1本買って始めたんだって。」

「それが今じゃ〜破産宣告してるのよ。もうあなたもしっかりしないと。」

「うん。それは分かってるけど。ごめん。分かっているけど。」

そんな会話をしていたらリビングで寝ている父が、

「は〜い!破産宣告で〜す!!」

とハイテンションで言って起きてきた。

「お前ら煩いから起きちゃったじゃないか。」

こんな感じでいろいろなことを家族で話します。

不安というものは一種の精神安定のために必要なのかなと思いました。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。

人っていうものは誰でも考えますし、また情に棹さすもの。それがいやで意地を通せば住みにくい世界を作ってしまう。でもまあそれはそれで良いんではないかなと。生きるというのは不安がつきもの。それを受け入れられた時、いい意味での余裕がでてくるのかなと足りない頭で考えたりしています。

【まあどうにかなる。ならなかったらしょうがないやね。】

最近こんなことを思ってぐうたらしています。自分が苦しい時ほど周りを笑わせることを忘れずに。これが僕が27年間生きてきて教わった唯一のことでもあり僕の座右の銘です。

だから僕が面白いこと言ったり書いたりしている時は心がウサギちゃんの時ですから皆さん気を使ってやってください。ということは毎回心が寂しいということです。え!?

2004年10月18日(月)17:40

以前、これ美味しいと教わったのがねぶた漬でした。これが美味しいのなんの。炊き立てのご飯とねぶた漬さえあれば相撲取りにでもなれるんじゃないかという勢いでご飯を食べました。

翌日もねぶた漬で朝ご飯を食べようと思って冷蔵庫をみたらねぶた漬がありません。

父に「ここに置いてあった松前漬けみたいなの知らない?」

と聞いてみた所、「美味かったな〜。」

こういうのが積み重なると家庭内で殺人が起きるのかと思ってみたりもしました。

ということで今年もねぶた漬けを食べたいなと思っていて検索をしたらネット通販で売っていました。【LINK】

本当にネット通販は便利ですよね。amazonや楽天が大きな企業になったのが分かります。ダイヤ漬けというのも気になります。

まだまだ日本各地には僕の知らない美味いものがあるのですね。なれるものなら職業、阿藤快になりたいなと思っています。阿藤快さんは競馬好きでもありますしね。

2004年10月11日(月)0:34

「弟が産まれるんだ。ユウキっていうんだ!」

タイキ君がいいました。

「え!?もう名前があるの?まだお母さんのお腹の中なんでしょ?」

「産まれる前に男か女か分かるんだよ。お父さんがユウキっていう名前にするって。」

「へぇ〜。」

「僕がタイキでしょ。弟がユウキ。キは同じ漢字を書くんだ。」

「でも弟いても嬉しくないよ。オレんち弟いるけど、すぐファミコンやらせろっていうし。」

「二人プレイすればいいじゃん。」

タイキ君が嬉しそうにそういいました。

そんな会話をしたのも忘れた頃に母がササちゃんのお母さんと、「タイキくんのお母さん流産しちゃったんだって。」

と話していました。僕は「流産って何?」

「赤ちゃんが産まれる前に死んじゃうの。」

「だってユウキくんって名前ついてたよ?」

「かわいそうよね〜。」

そんな会話をしたのも忘れてしまいました。

僕は中学を受験して失敗しました。あれほど勉強をしたのにという思いと、皆のお前なら絶対に受かるという期待を裏切ってしまい初めて僕は何のために産まれてきたのか、死にたいなと思いました。

その時です。会ったこともないユウキ君が僕の頭の中に出てきました。

「ユウキ君は何のために産まれてきたの?」

ユウキ君は応えてくれませんでした。

それからです。悲しいことや辛いことがあると、頭の中にユウキ君が出てくるようになりました。

言葉を発することもありません。ただ思い出すだけ。いや思い出すにも会ったこともないのですから。

こんなことを言っていいのか分かりませんが、ユウキ君の家族はもうユウキ君のこと、忘れているかも知れません。ずっとタイキ君と交流はないので分かりません。

近頃僕は思うのです。ユウキ君は僕に生きるということを教えるために産まれて来たのではないかと。


ごめんねユウキ君。そんな役目でさ。

でもそのお陰でね。辛いことや悲しいことも「ユウキ君また出てきた。」というように向き合えるようになったんだ。


人が生きる意味というのは何なのでしょうか?未だにその答えは分かりませんが、少なくてもユウキ君は僕の頭の中で生きています。だから僕は命尽きるまで生きるのです。でも自信ないな〜。

そんな僕を見てユウキ君は、

「そんなに思い出さないでよ。ぼくだって疲れちゃうよ。さっき会ったばっかりじゃん。ゆっくりさせてよ。」

僕がユウキ君のこと忘れた時、僕のこと誰かに思い出してもらう時なのかも知れません。

「辛い時や悲しい時にお前みたいなのが頭の中に出てきたらもっと死にたくなるよ。」

そう言われるかも知れませんけどね。

2004年10月01日(金)17:00

母に用事があり母のお店KENTに電話を掛けました。

「松田ですが松田はいるでしょうか?」

「は!?」

松田ですが松田という知恵の輪みたいな言い方が悪かったと思いまして言い直しました。

「松田ですがは母はいるでしょうか?」

「は!?」

間違えて掛けたかなと思いまして、

「あの〜KENTさんですよね?」

「はい。KENTですが…。」

間違えて掛けていないようです。そりゃ〜間違えないでしょうね。だって携帯電話の電話帳からリダイヤルしているのですから。

「あの母は…。」

「母は私ですが…あ!わたるなの?」

母に殺意を覚えました。息子の声も憶えていない母。まあ母の性格上しょうがないと思うのですよ。世界で一番無愛想な人ですから。ミス鉄仮面に選ばれるだろうというぐらいですから。

町で会って僕が母のことを見つけて「お〜い!」と手を振っても気付かないのか僕の横を素通り。

後で「気付かなかったの?」と聞くと「別に用事無いし。」

そういう母です。息子の声も分からないはずです。

僕が電話で「ありえないよな。息子の声が分からないなんてな。」

「あんただって声分からなかったじゃない。」

そりゃそうですけどね。

「じゃあ切るね。」

そう言って僕はまだ何も用件を言っていないのに電話嫌いな母は電話を切ってしまいました。まあ母の居場所が分かったし良かった良かった。って!違う!違う!

僕ら家族は電話が嫌いなので家に電話が掛かってくると「お前出ろ!」「早くしないと切れるよ!」

と譲り合いの精神が働きます。そして譲り合っている内に「ほら、出ないから切れちゃったじゃないか!」

あまりにも電話に出ないから親戚が心配して警察に連絡をしたらしく警察がご機嫌を伺いに来たこともあります。

そんな家族の中で唯一電話好きなのはおばあちゃんなので受話器は取るんですが、

「留守番の者なので分かりません。」

と言って自分以外の用件の電話は全て切ってしまいます。

本当に電話にでんわであります。



帰宅した母に聞いた所、「母はいますか?」と聞いたので分からなかったと。普段僕が母と呼ばないので不思議だったと言っていました。

そりゃ〜言わない。親に向かって「母、晩御飯はなんですか。」気持ち悪い。

そういえば知人に家でも「父・母」と呼んでいる人がいるが、僕が自分の親に「父は…」なんて呼んだらお前、病気かとか言われそうです。

我が家では両親のことは「おじさん・おばさん」と呼んでいるので「お父さん・お母さん」と言うのも恥ずかしいです。

だけどなぜか両親に、「いつもありがとうね。愛しているよ!」というのは平気です。でも両親をお父さん・お母さんと呼ぶのは虫唾が走ります。

父に「おじさんいつもありがとう。愛しているよ!」と言うと「お前バカか。」と言われます。そんなバカを育てたのはあなたですよ。と思うと嬉しくてタマランチ会長です。

人によって恥ずかしい場所に違いがあるんだなと思います。ケツの穴は見られても良いけれど、鼻の穴はイヤだとかそういう違い。僕はどっちもいやです。



えにっきで書いたように歯医者に行ってきました。松田さん歯を良く磨かれているようですが、そのせいか歯茎が削れていますねと言われました。歯茎が削れることがあるなんて初めて聞きました。

「良い歯をお持ちですね。」と歯医者さんに言われたので「いや見ての通り歯は汚いです。」と言った所、「歯が白いから健康だという訳ではないのですよ。」

でもやはり白い歯に憧れを抱くものです。

僕は人生が枯れるときに後悔など、跡付け(後付け?)で思うことはしたくないのですが、ただ一つだけ後悔することがあるのならば歯をもっともっと大切にしておけば良かったということです。

何の映画か忘れてしまったのですが「おじいちゃん人生で後悔していることある?」と孫が聞いておじいさんは「何も後悔することはないけれど、ひとつだけあげるのなら歯を大切にすれば良かったよ。」

その真意は別の所にあると思いますが、僕も枯れた時にこのようなことを言える人生を歩みたいものだと思います。

ただまだ若いせいなのか「あ!言わなければ良かった。」「言えば良かった!」という後悔が多い。でもその後悔は三日経てば忘れます。そしてまた繰り返します。

恥の上塗りとはよく言ったもので後悔の上塗りをしています。上塗りし過ぎて元のお椀の形が見えません。
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Akiary v.0.61