僕は子供の頃、月に決まったお小遣いというものはなく欲しいものがあればダダをこねたり、急に「肩こってない?」などと媚を売ったりして欲しいものを駆け引きで手に入れていました
その他に臨時収入として罰金500円を徴集するという制度で飢えを凌いでいました。
我が家の大人達はみなヘビーに煙草を吸っていました。僕の母も煙草を吸っていました。母が煙草を吸っている姿が好きではありませんでした。
そして母が煙草吸ったら「罰金ね!」という制度を強引に作りました。
普通にリビングで吸っているのを発見して「あ!煙草吸ってる!約束だ!500円!」
最初は母もしょうがないという感じで500円罰金を払っていたのですが、僕らが目ざとく見つけるために母もだんだん隠れて吸うようになりました。
子育てもそうですがやっちゃだめ、しちゃだめ、というと反抗したくなります。反抗期というものは子供もそうですが大人もそれに反抗するから対立するのかも知れません。
今回の場合立場は逆ですが母も隠れて煙草を吸うようになってしまいました。
僕が寝静まった頃に煙草を吸ったり、僕が家にいない間に吸ったり、トイレで吸ったり。それを発見する度に「あ!500円!」
そしてその習慣と罰金制度が20年以上経った現在も続いています。
僕が家に帰って来て「ただいま」というとリビングに座っている母はそわそらして目線が定まりません。
さては?と思い「煙草吸った?」と聞くと、
「何?今日は天気が良かったね〜。」
と話をそらします。
ますます怪しいなと思い、僕は鼻をクンクンして「あれれ?煙草臭いな〜。」
そして煙草を手に取り、
「今日家を出る前に12本あったんだけど…2本減ってる?…煙草吸ったでしょ?500円だよ!500円!」
煙草の本数なんて数えていないのですがそれを聞いた母は、
「1本だけしか吸ってないよ。」
「はい!500円!」
この制度で母の禁煙には成功しませんでしたが、お金は貯まりました。この制度の成功は僕が煙草を吸う暇もなく500円を頂いていたということでしょうか。
僕が午前2時過ぎに、トイレに行こうと起きると暗いリビングで母が座っていてそこに赤い光りが見えました。
僕は寝ぼけているにも関らずとっさに「500円!」
あれ?と思ってよく見たら母が蚊取り線香に火をつけているところでした。習慣というものは恐ろしいものでやめられません。
ドラえもんの声が大山のぶ代さんから他の人の声に変わるらしい。
ルパン三世のルパンの声のように前の声の人のモノマネなら違和感がないのでしょうが、その声だからこそドラえもんというイメージがあるので声が変わるとドラえもんそのもののイメージも変わってしまいそう。
声変わりはその人のイメージを変えかねない。
小学校5年生の時にウスイ君は風邪でもないのにガラガラ声になって殆ど喋れなかった。「ウスイ声変わりか」と先生が言った。
ウスイ君は声が変わるまでは女の子みたいに甲高い声で悪ガキだったが、声が変わってから急に老け込んだように感じた。あだ名も「ウッチャン」から「オジン」に変わって小学校6年生にして落ち着き風格がでた。
声が低いウスイ君が大人のようで羨ましかった。
それで男には声変わりということがあるんだなと知り僕も声が変わる日が待ち遠しくなった。
しかし待てど暮せど僕には声変わりというイベントは起こらず、そのまま27歳になった。いや、声は変わったのかも知れないがガラガラ声にもならなかったし、誰も気付かないうちに変わってしまったのかも知れない。
27歳で自宅の電話に出て「お父さんかお母さんはいますか?」と言われて大人になりたいなと思った。オレオレ詐欺だってしてみたい。
僕の声はなぜ変わらないのか悩んだ時期があった。
僕には男性にあるはずの喉仏がないせいか?
それはないのではなくデ部というクラブ活動に精を出していた時期だったので、喉仏が肉に埋もれていただけだったということは痩せてから分かった。
同じく目が小さいなと思っていたがそれは肉に埋もれているだけであった。でも元々小さかったのかそんなには変わらなかったが…。
16歳の時に何を血迷ったのか歌手になりたいなと思って、テープレコーダーにプリンセスプリンセスのダイヤモンドを吹込んだ。
そして自分の声を聞いてみて、歌が下手というよりもその妙に甲高い声質にびっくりした。
それと同時にテープレコーダーに吹込んだ自分の声を聴く事は恥ずかしくもあった。
歌手を断念したのは賢明な選択だった。でもそんな自分の声も小学校の時にたった1度だけ言われた言葉のお陰で嫌いにはなれなかった。
6年生の時、同じクラスのハギワラさんという女の子に突然、
「まつだくんって声いいね。」
僕はハギワラさんのことは好きでもなんでもなかった。ハギワラさんも僕のことは何とも思っていなかったでろう。なんとなく言ったことだと思う。言ったことすら憶えていないであろう。
でもその後、自分の声ってやっぱり変だけど案外良いのかも知れないなと思うようになった。その言葉のお陰だ。
100mぐらい続く急な坂道を歩いていると、前に車椅子を押している人がいた。
おじいさんが車椅子を必死にこいで、おばあさんが後ろから一生懸命に押していた。しかしおばあさんの力では前にあまり進まない。
手伝ってあげるべきかな?と思案していたら、「手伝ってあげて」と側にいるはずのないETさんの声が聞こえた。そういえばこういう場面に遭遇したら僕が手を貸すべきか考える間もなく「手伝ってあげて」と言うであろう。
電車での座席を譲る時に、譲るべきか譲らざるべきかを悩んでいるうちにタイミングを失ってしまったことが何度かある。
以前、このような場面に何度か遭遇したことがありましたが、僕が手を貸すべきか悩んでいると、「助けてあげて」とETさんに言われたことがありました。
「あの、僕が押しますよ。」
僕が車椅子を後ろから押しているときも、おじいさんは手で必死に車椅子のタイヤを漕いでいた。おじいさんの薄手のジャンバーに汗がにじんでいた。
車椅子を坂道で押すのはかなりの力が必要だった。おばあさんには無理だろうな。押すことができて良かったなと思った。
車椅子で生活している人が住みやすいようにバリアフリー化というのが言われていますが、別にバリアフリーにしなくても、ちょっと押したり、ちょっと声を掛けたりするだけで、両者とも何か得られるかも知れないなと思った。
携帯電話になって電話番号を覚えなくなったのと同じように、バリアフリー化が進むと何か失うような気がする。無理やり例えてみました。
おばあさんとおじいさんに「ありがとうございます。すみません。すみません。」と何度も頭を下げられた。逆に何か気付けたようでこちらこそありがとうございますという気分でした。
その後、5分ぐらいして、【今日僕は良いことしたんだね?】ということは神様が見ているかも。でも別に僕は何かを期待してしたことじゃないけど…。
でも…。今日のマイルCSの馬券ぐらい当ってもいいよね?っていうか良いことをしたから当るかも知れないと思っていたのですが…。
結果は…1着3着という一番悔しい、要するにハズレでした。数字が変わらないかな?とハズレた馬券をずっと見ています。数字を1度だけなら変えることができる、というように僕の馬券をバリアフリー化して欲しいです。弱ってますから。
今日も無駄に長いシリーズです。
■
カレーうどんを作ったのですが、食べようとした瞬間携帯に電話がありました。
カレーうどんのことなど忘れ、かれこれ30分ぐらい喋っていたでしょうか。再び食べようとするとうどんが伸びていましたが温めるのも面倒なので食べてみたら、普通にカレーうどんを食べるよりも美味しくて驚きました。
冷めたカレーうどんは美味い!お試しあれ!(ただし常温で冷やすこと)
これぞまさに失敗は成功の素。
失敗といえば小学生の頃、テストで悪い点数を取るとおばさんに「今日は徹夜で復習!」と言われるので点数の悪いテストは家に持って帰らないで学校の机の引き出し箱と机の間みたいな奥まった場所に隠していました。
捨てれば良かったのですが、小心者だったために捨てる所を見られてはまずいという思いから机の中に悪い点数のテストを溜めこんでいました。
ある日、先生が「引出し箱を出しなさい!」と言って机の中身が綺麗に整頓されているかチェックをすることになりました。
引出し箱を見せるのはいいのですが、机の中には丸めたテストが散乱しています。僕は青ざめました。これがバレたら家にまで報告される。
でも運が良いことに机の中はチェックされずに済みました。でも僕は机の中のテストはいつか一杯になる。これを処理するにはどうしたらいいかを考えました。
そこで夏休みや冬休みなどの終業式の前の前の日に学校に早く来て透けないゴミ袋にテストを丸めて、あたかももうすぐ終業式だから持ち物を持って帰るんです風にしてそのテストの山を持ち出すことに成功しました。
後は、ゴミとして出せばいいだけなので僕は家に帰る前に誰にも見られていないことを確認して捨てました。
そんなことが3年ぐらい続いたでしょうか?だんだん慣れてくるもので、最初の罪悪感はどこへやら。犯行は大胆になり88点のテストまで捨てていました。
100点でないと「テレビを見てはダメ。なぜ間違えたら考えなさい!」と学校から帰っても1日中勉強をさせられるからです。
おばさんは90点以上の僕しか知らないので成績表を見て、
「おかしいわね。テストの点数はいいのに!学校での態度が悪いんじゃないの?」
成功したと思っていたのですが、それからというもの勉強中は咳をしたら「集中してない!」前にも増して厳しくなりました。
僕は学びました。成功は失敗の素でもあります。
僕に子供が出来たら「なんで100点なんか取ったんだ!ご飯抜き!ぴったり30点取ったらPS4のカセットを買ってあげるよ。」
そう教育しようと思います。失敗から学びました。
■
「まっちゃんはさっちんと仲が良くていいな。」
友達のモリベ君がいいました。
「お前、あんなののどこがいいんだよ?」
そう言うとモリベ君は「サッチンはかわいいぞ!」怒るようにいいました。
「それでモリベさあ?さっちんとどうしたいの?付き合いたいの?」
「見てるだけでいいんだ」モリベ君はそういいました。
「まっちゃんはさっちんと話せていいな〜。」
友達のオオタニ君がいいました。
「モリベもサッチンが好きっていうの知ってるよ。でもいいよなまっちゃんはサッチンと仲が良くて。」
「それでさ?オオタニはサッチンと付き合いたいの?」
「オレはいいよ。」オオタニ君はそういいました。
サッチンにはモリベ君オオタニ君のことは黙っていたんですが、突然サッチンが「ねえ〜。モリベ君とオオタニ君から何か聞いてないの??」
「あ、あ…なんか好きらしいよ。」
そう言ったらサッチンが「なんで私に向って言わないんだろうね〜。今なら早いもの勝ちなのに。」
「なにそれ?そりゃ〜さあ言えないでしょ?僕だってもし両想いだって分かっていても言えないもん。」
「まだ内緒だけど私、二学期終わったら転校するんだ。」
「モリベとオオタニかわいそうじゃん。」
「それでいいこと考えたんだけど、まっちゃんが私と付き合ったっていたってことにすればいいんだよ。そうすればどっちも傷つかない。」
「いやだ。サッチンと付き合ったなんて絶対にイヤだ。」
「なんでよ〜!!ね、お願い。私ね。オオタニ君もモリベ君も好きなんだけどそれってそのままにしてはいけないことでしょ?ケーキ奢るから!」
「ケーキ…。」
そして何事もなく時は経ちサッチンは転校しました。サッチンが描いた自画像が教室の後ろに貼られていました。オオタニ君とモリベ君が取り合いをしていました。
「オレがもらう!」「バカ、サッチンの絵はオレのだ!」
僕はサッチンの絵を壁から剥がしました。「ちょっと待てよ!腕相撲で公平に…。」その時、絵の裏に書いてある文字が目に入りました。
【マッチャンガスキデシタ。】
僕もその腕相撲に参加して絵は僕のものになりました。
モリベ君とオオタニ君が声を合わせて、
「まっちゃん。持ってても意味ないじゃん!ちょっとサッチンの絵のニオイ嗅がせろよ!」
無意味に長いので。。。
■
2年ぶりに祖父に会って来た。
住んでいる所は銀座4丁目の歌舞伎座の横のマンション。セキュリティーもついていて立派なマンション。父が仕送りをしている訳でもなく、年金を貰っている訳でもなく、どうしてそんな所に住めるのか不思議だった。
父が「ここいくらぐらいするの?」と祖父に聞いたところ、「オレがお金を払っている訳じゃないから分からない。」
実は父は祖父に相談というか文句を言いに来た。祖父に紹介された人の所に言ったら36万円を騙しとられた。その人はどこにいるのか?
それを祖父にいったら「ちょっと電話をかける。」そう言って電話をした。
「今、息子が来ているんだけど。お前、息子に電話するって言ったじゃないか!…」
凄い剣幕で怒鳴っていたが、祖父の顔は笑っていて父を見て大丈夫だとVサインを出していた。電話を切った後、「オレに任せておけ。」
父が祖父と別れた後言っていたが、「なんにもあのオヤジ(祖父)はしないだろうな。電話で怒鳴っていのに笑顔でVサイン。あれ見たら何にも言えない。」
その後、「おい。なんだ?名前…。」と孫の僕に聞いたので「ワタルです。」祖父はボケているのではなく業とというか技と僕の名前を毎回聞く。
父が祖父に「オレの息子だ。」と僕が産まれたので初孫だよと見せに行った時に、祖父は「忙しいから」と5分もしないうちにその場を去っていった。その時、父は自分の父に会うのは8年ぶりだったらしい。
父は毎回言う。「オヤジ(祖父)は薄情だからな。オレが子供の頃、オヤジと一緒にご飯を食べたことがなかった。オフクロともだ。なぜか知らないけれどオレは隣りの高橋さん夫婦の真ん中に布団を敷いて寝てた。だからオレは温かい家庭を作りたいと思った。」
でも僕は違うと思う。祖父はそういうご対面が苦手なんだと思う。
僕の祖父が「何が食べたい?」と僕に聞いたので「何でもいいです。」と言ったら「イタリアに行くか。」
イタリア料理を食べに行った。祖父は何度か心臓を悪くして倒れているので歩くのもままならず杖をついて歩く。しかもかつぜつも悪い。そんな自分を笑いながら「心臓をやって口が回らなくなったけど英語の発音は良くなった。」
そこのイタリア料理にはよく来るそうで店に入ったらすぐさま店員さんが出てきて奥の一番景色が良い席に案内してくれた。後でなぜ奥の席に案内されたのか分かった。そこのお店は禁煙なんだけど、祖父は汽車のように煙草を吸うので奥の席でないと他のお客に迷惑がかかるから。
「なにか好きなものを頼め。」というのでメニューを開いて見ていたら祖父が店員さんに「取りあえず酒と料理を持ってきてくれ。」
メニューは選ぶために見るものではなく見ているふりをするものだということを知った。
そこで祖父と父は昔話をした。
でしゃばりな僕が「前に聞いた話があって。一番面白かったのは、父が子供の頃に庭で遊んでいると石の下とか、垣根の間とかから1万円札を見つけた。父はその1万円札を別の場所に移動させて、後でおじいちゃんが庭で石をめくって探しても見つからなくて…」
祖父は「家にお金を持って帰るとマキエ(祖母)に取られちゃうからな。」父は「びっくりたよ。石をめくる度に1万円が出てきたんだから。」
そんな話をしていたら祖父が「マキエは元気か?」
おばあちゃんのことを聞いた。「相変わらず強いです。昨日は僕に馬券を頼んだんだけど自分で間違ったのに僕に怒っていました。」
そう言ったらおじいちゃんは「そうか、そうか」とニコニコしていた。40年前に離婚しても案外心配なんだな。
祖父は「タダシ(父を指差して)ができも毎日朝から晩まで飲んでたんだけどマキエ(祖母)に、タダシが大きくなってお金がいるから働いてくれって言われてな。初めて職安に行ったのが26歳の時だ。」
祖父はニコニコしながら人差し指を立てて、
職安に行ったら何かできますか?って聞かれたんだ。何にもできませんって応えたら青山の英文科を出ているなら英語できるでしょ?って言われたから、はいできますって言ったんだ。」
おじいちゃんがウインクをして、「英語なんてこれっぽっちもできなかったよ。でもYDに入って分かった。たいしたヤツがいない。これなら一番になれるってね。」
そこで持ち前の詐欺師ぷっりを発揮し2年でYDの重役になったはいいが、YDを辞めなくてはいけないほど遊んだらしい。そして市会議員になって2期目で遊び過ぎて次ぎは当選できないだろうと思って辞めたらしい。
その後、祖母とは離婚して何をして食べていたのか誰も分からない。だけど50歳の時に再婚をして他に子ができた。いや子が出来たからしょうがなく籍を入れたらしい。その子は僕にとっては8つ上のおばさんだ。そのおばさんとは深い親戚付き合いがある。
祖父に「箱根駅伝出たって本当だったんだね。インターネットで調べたら名前があった。」僕がそう言ったら「ほらな。オレの話は全部ほんとうだ!」
それを聞いて9割方ウソだなと思った。
祖父は競馬好きなこともあり2時間ぐらい食事をしながら話した。父がトイレに行っている間に祖父は「店を出るぞ」
曲がりながらもというか曲がっていないけど銀座だ。それも結構な料理が出てきた。出てきた肉料理を見て父が「綺麗な盛り付けだ!」と驚いていたほどだ。
それを祖父は「綺麗に盛らないと食べられない。肉が良いものじゃないからな。」シェフのいる前で言った。シェフは苦笑いをしていた。たしかに肉は良いものではなかった。
しかし銀座だ。結構、値が張るはずだ。もしなかった場合、僕が払わないといけないなと思って財布の中身を頭の中で換算した所、8000円…。情けない27歳。
いざとなったらカードだ。店員さんが席に金額を書いた伝票を持ってきた。祖父はそれを見て現金で払っていた。2万円ぐらいだったけれどどこにそんなお金があるのだろうか不思議だ。
店を出て祖父とはそこで別れることにした。「それじゃあな。まあ次ぎは骨になっているかも知れないけどな。」
そう言って79歳の祖父は杖をついて歩いて行った。僕はその背中をマンションに入るまで見ていたが何だか寂しそうだった。父にそっくりな歩き方だった。いや、父が似たのか。
父が「ああいう人間なんだ。憎めないだろ。」
その後、父と銀座、汐留を歩いた。オシャレと言われている高層ビルを見た父は、「ここは田舎者の来る所だな。お登りさんばっかりだ。みんなお登りさんだ。」
フリースの下は寝巻きを着てサンダルを履いて銀座を歩く父がそう言った。
「取りあえず銀座に来たから美味い物でも食べるか。」父はそう言ってマクドナルドに入った。
僕が言うことではないが…。父を見て思うのは口が悪いのにこんなに育ちが良くて優しい人を僕は見たことがない。
家に帰ったら祖父から祖母に電話があったらしい。変なもので今でも「競馬はどうだ?」なんて祖父と祖母は電話をしているらしい。単純に考えれば離婚しても仲が良いってことかも知れないが本当の所はお互い策士だしどういうことか分からない。
「松田(祖父のこと)がワタルのこと褒めていた。優しい良い子だって。」
じいちゃんらしい言い方だなと思った。優しいってことは他に取柄が無く頭が悪いってことだ。でもそれでいいかなと思った。
さてと、電車を待っている時、携帯を出そうとポケットに手を入れたところ携帯がない。バックかなと思ってバックを見たところバックにもない。
あれれのれ?ということは、答えは一つ!落としたってことじゃないかな?じゃないかな?ってのんきなことを言っている場合じゃない。
取りあえず携帯を探さないとと思い、改札に戻ってウロウロ。しかし見つからない。そうだ!落し物で届けられているかも知れない!と思って駅員さんに聞いてみました。
「すみません。携帯を落としたのですが…。」「どんな携帯ですか?」「変なストラップがついた携帯です。」「変なストラップ?」
「ETという化け物みたいなストラップがついた緑の携帯なんですが…。」「届けられていませんね…。」
ということで僕は改札を出てウロウロしていたら「お兄さん!」と二人組みの若者に声をかけらてた。「これお兄さん落としたんじゃないの?」
若者は携帯のバッテリーを持っていた。「あ、それは僕のだと思うんですが…。本体は…??」
「本体はね。サラリーマンのおじさんがお兄さんを追いかけて持って行きましたよ。」
「追いかけて行った?どんな人でした?」「白髪まじりで割腹が良い。かなりガタイがいい。」
それだけでは分からないが何にしてもバッテリーだけでもありがたい。「どうもありがとうございます。」
そう言って僕は再び切符を買って改札を通ろうとすると駅員さんが「切符はいいよ。さっきので。払い戻してあげるから。」
世の中捨てたものじゃない。もう僕はその優しさに涙が出そうでした。というか出てた。劇団ひとりみたいに泣いてた。
「すんません。」このご恩は鶴になって返しますと心の中で思い僕は白髪まじりの割腹の良いサラリーマンのおじさんを探すべく駅のホームへとダッシュした。
しかしおじさんは見つからない。というか金曜日の午後10時過ぎの町田駅。人が多すぎて分からない。
そうだ!自分の携帯に電話すればいいんだ!と思い立ち公衆電話から自宅に電話をして自分の携帯の番号を聞いて自分の携帯にかけてみた。
しかし留守番電話サービス…と思った瞬間…あ!僕がバッテリーを持っているんだ。そりゃ〜かからない。僕はなんてバカなんや。
自己嫌悪に陥りそうになったがそんな時間もない。ここは恥ずかしさも何もない声を出して言おうじゃないか。愛しているって。違う!違う!超絶違う!
ということで僕は大きな声で、
「すみません。携帯を拾ってくださった方はいらっしゃいますか?ETのストラップがついている緑色の携帯です。」
この人何?という顔で見られたが中年の男性が声をかけてくれました。もしかしてこの人が拾ってくれたの?でも白髪まじりじゃなくて髪がない…。
中年紳士は、「携帯を落としたの?大変だ。一緒に探してあげよう。」
僕は感動しました。こんな僕のために。僕は…。
「あ、大丈夫です。どうもありがとうございます。本当にありがとうございます。」
丁重にお断りをした。でもみんな優しいな。おい!!
もう携帯は見つからなくてもいいかなという気持ちになった。でも携帯だけならとっくの昔に諦めて探していなかった。携帯についているストラップが僕にとっては凄く大切なものだから。
探し始めて1時間経った頃、駅のホームにアナウンスが流れました。
「落し物で携帯が届いています。緑色の携帯で化け物のストラップがついています。」
あ!それ僕のだ!
僕は階段を上がり駅員さんに携帯を落としたんですが…と言う前に「良かったね。見つかって。」
傷だらけになった僕の緑の携帯がありました。大切なストラップもありました。でもバッテリーのカバーだけは見つかりませんでした。
「どんな方が届けてくれたのですか?」「若い女の人でしたよ。」
あれ?白髪で割腹の良いサラリーマンのおじさんじゃなかったの??
でも見つかって良かったです。
落し物は僕の不注意です。どうもすみません。
皆さんのお陰で見つけることができました。どなたか分かりませんがJRの町田駅でETのストラップがついた緑色の携帯を拾ってくれた方々どうもありがとうございました。
モランボン ケーキを頼む 母がいる
■
と、しょうもない川柳で始まった今日の日記ですが、父が僕に「お前、白髪が凄いな。苦労しているんだな。」
そういいました。
気付いていませんでしたが、髪の毛はウソをつけません。僕は苦労をしているということに気付きました。しかし息子の苦労を父に気付かれてしまった僕はとんだ親不孝者です。
でも白髪は隠せません。そんなことを思っていたら父が、
「お前、苦労しているんだな…数字の。」
「え!?数字?」
僕は数学はてんでダメで、たしかに数字の苦労はしています。でもそんな白髪が出るほど数字の苦労をしていたかな?と思っていたら父が、
「馬だよ。馬。」
あ、たしかに数字の苦労です。競馬は数字を組み合わせて予想する。数学の要素が強い。しかし競馬スキにはなぜか文系が多い。当らないわけだ!
しかし息子の苦労を父に気付かれてしまったの僕はとんだ親不孝者です。
でも白髪は隠せません。そんなことを思っていたら父が、
「お前、ハゲそうだな。」
僕は子供の頃からオデコが広かったのですが、だんだん原生林が伐採され地肌の面積が広くなっているのは薄々というかハゲハゲ気付いていました。
たしかにここ数ヶ月急激に毛が前から減ってきました。そんなことを思っていたら父が、
「家は誰もハゲはいないからな。お前が第1号かもな。」
被害妄想かも知れませんが、そういえば、最近ETさんが僕と会話をする時に僕の目よりも数10センチ上の方を見ているような気がします。
以前、ハゲのかけらもなかった頃、「ハゲてもいいや」
そう思っていましたが現実にハゲがせまってきた現在、シャンプーをして抜け落ちる髪を見て「毛のあるうちに遊んでおかないとダメかも…」と思うよりになりました。
■
僕は毎日ジョギングするために公園に行っているのですがこの時期になるとやけにカップルが多いことに気付きました。クマが冬眠前に脂肪を蓄えるのと同じように、クリスマスにそなえて恋人達も愛を蓄えているのでしょうか。
正直、家でやってくれという感じです。
僕は公園の周りを20週ぐらいするのですが、一週ごとにカップルの前をすれ違います。そして一週するごとに愛が深まっていく様子を感じたくなくても感じます。
最初の5週ぐらいまでは「も〜!」とかいちゃつきあっていますが、10週を超える頃になると会話はなくなって見つめ合うモードになって13週目を超えると…もう言えません。
15週ぐらいになるとカップルのその動向が気になりペースアップなんかしちゃってたりして。
20週ぐらいになるとカップルはいなくなります。
たぶん僕が異常な早さでジョギングしているので気味が悪くなったものだと思われます。
父が携帯を新しくしました。「今度のは写真が撮れるんだ!」
でもどうやって撮るのか分からないから教えてくれというので使い方を教えたら、「おい、お前じっとしろ。」と言って母を撮り始めました。
「動くなよ。動くなよ。おいワタル。なんか写真が動く。お前動くな!」
「おじさん(父のこと)の手が震えているんだよ。」
「なんか息が苦しいな。」
「息止めて撮ることはないよ。」
そんなこんなんでやっと撮った母が写った写真を見て、
「お前、気持ち悪いな。」
それはあまりにもヒドイなと思いましたが、僕もETさんに気持ち悪いを連呼していました。
父の携帯の写真は10万画素しかないのですが、「すごいな。すごいな。おい、お前が撮れてるぞ。」
そう言ってアラーキーのように撮っていました。いや、林家ペーさんのようにです。その自分が写った写真を見たパー子さんが…じゃなくて母が、「気持ち悪いわねぇ〜。」
1時間後、父が「おい、ワタル!」
「なに?」とリビングに行くと「もう写真が撮れませんと出たぞ。」
そういうので写真が保存されているデータフォルダを見たら母の写真で一杯でした。しかも無愛想な母はニコリともしていません。
1枚でも気持ち悪いのに200枚以上の無愛想な母はホラーです。
そして父が嬉しそうな顔をして、
「明日、この写真をレーザーで映しておばさん(母のこと)の鉄のオブジェを作ってきてやる。でも気持ち悪いな。この顔は気持ち悪い。」
たしかに母の写真は気持ち悪いですが、それをものの一時間で200枚以上も撮った父はもっと気持ち悪いです。女子高生ふうに言うのならマジキモイです。
でも父にとって"気持ち悪い"という言葉は最高の褒め言葉なのかも知れません。
地震があったり首を斬られたり大統領選挙があったり。。。久しぶりに更新をしたら何だか肩が痛くなりました。という訳でまずはリハビリを兼ねて普通の日記…。
■
競馬場で小学生の男の子が「ね!5−6って言ったでしょ?」と父親に言っているのを聞いて着実に僕の"後"が育ってきているな〜と思った。でもね。本物になると"差せ"も"そのまま"も言わずに無言になるんだよ。あと競馬場には一人で行くようになるんだ。
友達と言って僕だけ当ったり友達だけ当ったりした時、リアクションが難しい。下手に喜んでも下手に慰めても、下手に気丈夫になっても気まずさだけが残る。
「当って良かったね!」と言っていても結構顔面引きつっているから。でもそれが社会。競馬で社会、学べます。
「うわ!こんなについたんだ。」と周りがワイワイ競馬場で言っている時、静かに僕は心の中でつぶやく。「僕は当った。でも誰にも自慢できない。孤独だ…。でも格好いい。」
着実に危ない方向に進んでいる気がします。
■
お菓子を貰ったので母にこれ食べると差し出したら「これ女の子から貰ったの?」
女の子とはどうやらETさんのことらしい。そして「最近どうなの?」と聞いてきました。
「まあまあかな?」「何がまあまあなの。で、身長はいくつなの?」
なぜか母はETさんの身長が気になるらしい。「163cmぐらいかな?」「う〜んそうなんだ。それでどんな顔してるの?その携帯に写真あるの?見せて。」
写真はあるけど何だか見せるのは勿体無かったので「ないけど。これに似ている。」
携帯についているETのストラップを母に見せた。それを見た母が「これに似ているの?化け物じゃない。」「本人が似ているっていうから。」
「これ化け物だよ。この子なの?」「いやこの子っていうか。これに似ているだよ。」母は僕の携帯についているETのストラップを手に取って「こんなに小さいの?」
母さん!こんなに小さな人間はいません。
「そんなわけない。もっと大きいよ。」と言うと「身長はいくつなの?」「さっき163cmって言ったでしょ!」
「あら。」
何があらなのか分からん。「あるじゃない。あるじゃない。何してるのとか聞くこと?」「別に何してても丈夫なのが一番だからね〜。」
話の意図が掴めませんが「丈夫そうだけど?」
「そうよね。このストラップに似ているなら丈夫よね〜。硬そうだもの。でも顔色が良くなさそう。」
おいおい。そんなETのストラップみたいな顔色の人がいたら土下座します。
「だからね。もっと他に聞くことあるじゃない。」「うん…じゃあ、背はどれぐらいなの?」
介護の必要がない痴呆症の人を相手にしているようで、これは普通に応えてもバカみたいなので「4mぐらいかな?」そう言ったら「4mは大きい…あれ?163cmじゃなかったの?」
こんな母と会話できる僕の心が4m。