夫婦にどんな思い出があるかご存知ですか?僕は知りたくなくても知っています。
今日我が家はすき焼きでした。僕はあまりすき焼きは好きではないのです。
父と母が初めてのデートで行ったお店はどうやらすき焼き屋さんだったらしいのです。
「お父さんそこのすき焼き屋で店員さんの礼儀がなっていないと怒ってね。醤油を全部鍋にコボして先にお店出ていって。」「お前、あれはな!あの店の礼儀がなってないからだぞぉ!」
「私あの後、お店の人に謝ってね。」「なんでお前が謝るんだ。バカ。」
「お父さんホント短気なんだから困るね。」「普通は怒るぞ。俺はお客なんだ。でもあのすき焼き屋まだあるかな?そうだその後行った店はたしかフグだったな?」
「そうそう。あのフグ屋さん美味しかったからって毎週行ったね。」「あれは美味かった。まだあそこのフグ屋あるかな?」
普通ならなんて人なんだろうと思い上手くいかないような気もしますが、僕がこうやって産まれた所をみると上手く行ったのでしょう。
小さな頃からその昔話を聞いていたせいか、僕もその時その場所にいたような錯覚に陥ることもあります。
【父は短気だからな…】
店員さんの礼儀がなっていないお店に入る度にひやひやします。
夫婦でこういう思い出の共有はなんとなくいいなと思ったり。
しかしこの逸話を家ですき焼きをする度に父と母はするために、僕は毎回どこに60歳近い夫婦の好きを焼けばいいのか分からず、そのせいですき焼きを好きではないのかも知れません。
風邪をひいたのか花粉症なのか分からず。でも熱があるのでたぶん風邪。
■
回転ドアに挟まれて子供が死亡するという痛ましい事件がありましたが、僕もやっとこさ入ったはいいけれども出るタイミングが分からず何度もぐるぐる回ったことや。
【この回転ドアは1名専用です】というのを知らず前の女性に続いて入ってしまって痴漢に間違われそうになったり。
回転ドアを作ったメーカーさんも知らなかったであろう安全性の問題が指摘されています。
回転ドアはただオシャレなだけかと思いきや、省エネやバリアフリーなどの効果があるそうです。
いくらオシャレで省エネという省エネルック的な回転ドアといえ人の出入りが多い場所などは不便。
近くのデパートもオープン当初は回転ドアの回転が速かったのですが遅くなり、やがて普通の自動ドアになりました。
特にオープン当初の風車のような回転ドアの頃はご老人はデパートに入るだけで苦労していました。なんでオープン当初はあんなに早かったのか不思議でした。意気込みの現れでしょうか。
回転ドアといえばホテルなどで多く使用されていますが、「どうぞお入りください。」とドアボーイが回転ドアに入るタイミングを親切にも言って下さる所もあります。
なにか間違っているような…。
安全性云々よりも入りやすくするための工夫が必要だと思うんです。
例えば入りやすいように音楽を流したり。「お嬢さん。お入んなさい。」遊び心を刺激するように「いつもより早く回しておりま〜す。さ〜て入れるかな?」
その方が子供も注意するのではないでしょうか。まあ回転ドアは一種のアトラクション的効果もあるのでしょう。
叔母はガンのために4月5日入院して4月7日に手術をする。最後かも知れないというので叔母が家に泊まりにきた。
むかし実家があったこの町で食べた思い出のラーメンが食べたいというので一緒に行った。叔母は喉のがんのためにその味はほとんど分からないらしいが、「美味しい。」と言ってラーメンを半分も食べた。
その後、ぽかぽか陽気の中、おばと散歩をしていた。不動産屋の前でおばが「退院してきたら皆でむかしみたいに一緒に住めるといいね。」
僕が小学校6年生まで人がひっきりなしに出入りする家だった。いろいろあってみんなばらばらになった。
「そうだねー。」そう言ったがおばの恐ろしさを知っているので本心は辞めてくれという気持ちになった。
「このマンションなんて1120万円で安いわね。でも狭い部屋が3つしかない。みんなで住むのならもっと部屋がないとね。」おばがそう言った。
「このぐらいの間取りならバブルの頃は5000万ぐらいしたんだけどね。5分の1になった。おじさん(僕の父)がグチっていたもん。」
「でもこのマンションの間取りどこかで見たことあるわね。」
「家のマンションだからだよ。ほら鹿沼ハイリビングってなっている。」
「あらあら。だいぶ値段が下がったのね。この207号に住んでいる人も高い時期に買ったのかもねぇ〜。かわいそうねぇー。」
「207の人も大変だ・・・・?え!?これ僕の家だよ!これ!!!うちだよ!うち207だもん。」
「あら…あら…あらまぁー。ほんと。うちが売ってる…。」
自分の家が売っていた。
現在、僕が寝転がって日記を書いている所が売りに出ていました。
「そういえばあなたのお父さん、借金で督促状とか差し押さえとか競売とか言っていたものね。」
「でも不動産で売りに出たとは聞かなかったけどな〜。でも売れるのかな?あんな汚いマンション。」
「そうね。古くて汚いものねぇ〜。」
父からこのことを以前、なんとなく聞いていましたが…。
まさかふらっと立ち寄った不動産で自分の家の売り広告を見かけるとは思いもよらず、あまりにもの偶然に叔母と大笑いして帰ってきました。
親戚の子が大学の卒業式なので電報を送ってあげることにした。
僕の電報のイメージは、「チチキトク…。」
というものだったが調べてみるとそのイメージは古いもので今の電報はメッセージとプレゼントを合わせたようなものだということが分かった。
例えば、手紙に花やぬいぐるみがセットになっていたりする。ということで僕はぬいぐるみとメッセージのセットを送ることにした。
ぬいぐるみはいろいろあったが
「あらいぐまラスカル」にした。このラスカルには思い出があるそうだ…。
僕は小さい頃ラスカルが大好きだったらしい。らしいというのはまったく記憶にないのだ。
親戚の子の母親、叔母の家にいくと叔母がラスカルのビデオ鑑賞会を開く。
「これを見てワタルはらちゅかる〜〜〜!!!山にかえらないでぇ〜〜!!!と言って泣いていたのよ。」
毎度、毎度この【らちゅかるビデオ鑑賞会】を開かれるので僕としては嫌気がさしているのだがそんなことはいえない。
しかも僕はこの記憶にない【らちゅかる】を見て女優並に目に涙を浮かべなければならない。目が潤んでいないと叔母が、
「らちゅかる!!!!!と言ったのを忘れちゃったのかぁ…。」
そう言って悲しみ説教を始めるのである。でも僕は女優じゃないからそうも簡単に目に涙を溜めることなんてできない。しかし僕は泣かなければならない。
それで僕は悲しいことを考えるが涙なんて出てこない。
悲しいことを思いだし尽くし思い出が無くなりかけた頃、中学の生徒指導室で音楽の女の先生に「落ち着きがないのはダメよ」と言われた直後、脚を組み替えようとした先生のスカートの奥にはっきりと白い色ものが…そんなことを思い出す。
そして別の意味で悲しくなる。先生のパンツの色は白だったが【らちゅかる】と言っていた純真無垢な頃のかけらもない。最終的に僕が【らちゅかる】で思い浮かべるのは、パンチラなのであります。最低です。
でもなんとか目に涙を溜めることができる。それを見た叔母は僕の肩を小刻みに揺すり、
「あ〜懐かしい。らちゅかる!!!!ってねぇ〜。ワタルはこんなに、こんなに、ちいちゃかったのよ。」
先ほど大学の卒業式を終えた子から「お兄ちゃんありがとう。」電話がかかってきた。その後、娘の母親である所の叔母がやっぱり電話に出た。
「ありがとうねぇ〜。あれ!らちゅかるのぬいぐるみ。ワタルも粋なことするわね。」
思い出を綺麗なままで保存するというのは案外難しいものでありまちゅ。と言う訳で僕が未だに【さ行の発音】が上手くできないのはそのためでありまちゅ。
スペイン人の彼氏と付き合っている親戚の子の一ヶ月の電話代が7万円を超えるとおばさんが嘆いていました。
スペイン人の彼とはスペインと日本の遠距離恋愛。
恋する男女。側にいない。抱きしめられない二人…。声だけでもいい…。君の声が聞きたいんだ。セニョリーター!!!ミアモーレツ!!!!!君が欲しいんだぁ〜!!!(妄想中)
その気持ち分からないでもありません。愛はお金には変えられないかも知れません。でも7万円は大きな金額です。
そこで百戦錬磨の恋愛の達人の僕がずばっとその子に忠告してあげることにしました。
「ほら今はメールだってあるでしょ?声を聞きたいなら1週間に1回とか決めて話した方が燃えるよ?」
燃えるはないな失敗したなと思いました。僕が燃えて消えたくなりました。
僕の忠告も無駄ではなくその後…。スペイン人の彼からマイクが送られてきたそうで、メッセンジャーのマイク機能で話すということにしたらしいのです。
こうやってみんな恋をして大人になっていくんだなと、妄想の世界では百戦錬磨の恋愛の達人の僕は思いました。さてと一人でフルーツバスケットでもするかな。「りんご」
最近臭い人によく出会います。
土曜日に電車で酸っぱいというか酸っかいような、とてつもない匂いがしました。前の女の人が眉をひそめ恐い顔をして盛んに振りかえっています。どこから発しているのか分からないほど臭いのです。
周辺の匂いがあまりにも強烈なために自分もくさいような気がしてきました。そう思いくんくんしてみた所…。そんな僕が臭いわけないない!!絶対ない!切実ない!そう思いたい!
そこで横にいる知人に疑いの目を向け匂いをくんくん嗅いでみました。ちょっと臭いかなと思ったんですが、それは周辺の匂いで麻痺しているせいでしょう。こんなにも臭いなら一緒に歩いているとき匂っているはずです。
僕の友達は臭くない!!
しかし臭い…。息もできないほどです。なんとなくサリン事件を思い出してみたり…。
次ぎの駅でいい香りの人が乗ってきました。しかしいい香りもつかの間、臭い匂いとフィーチャリング。最強の匂いアーティストとして売り出し始めました。
この臭さをなんと表現していいのか。酸っぱい納豆トイレにいるような。真夏の剣道部。そこで七輪を使いくさやを焼いて監禁されたような…。
香りと臭いが科学反応を起すと殺人的に臭くなる。学会で発表したくなりました。
車内で知人と笑いを堪えるのに必死でした。まるで笑いきのこのように笑ってしまうほど臭いのです。人間おかしくなると笑うようです。
やっとの思いで目的地について電車を降りたときの開放感と言ったら、取れない鼻くそが取れたようなそんな爽快感。
次ぎの日、電車に乗っているとやっぱり臭い匂いがしました。今日は知人もいません。やっぱり僕??そんなことを思って周辺を見まわすとホームレスさんが電車に乗っていて助かりました。
人を疑うことはよくないのですが、どうやら彼から匂いが発せられているようです。昨日の匂いをレベル10とするならばレベル7ぐらいですがこれも立派に臭いです。
混んでいる車内なのにも関らずホームレス周辺には人が少ない。
通勤通学の満員電車は辛いですよね。そこで臭い匂いを発すれば快適な通勤通学ができるということを学びました。
臭いことでよく学びます。
面白かったのが乗客のほとんどが眉をひそめてしかめっ面になっていること。みんな鬼みたいな形相で電車に乗っているんですが、どこか笑いを堪えている様で、笑ったら負けあっぷぷをしている状態。
さて先週の週末は何をしていたのか…何を食べたのか…どんな馬が勝ったのか…。思い返しても記憶には【臭い匂い】しか残っていません。
匂いというのは、思い出の中でも強く印象に残るということが分かりました。
もしあなたが思い出作りをしたいと思うのであれば、臭い匂いの場所に行くか、自ら臭い匂いをかもし出すかそのどちらかだと思います。でもその思い出はクサイ思い出になることでしょう。
お昼過ぎに自転車に乗っていたら車にひかれました。
自転車の後輪に車が激突、僕は空中1回転してその場に着地。という、いなかっぺ大将の風大左ェ門みたいなことはなく、見事に自転車から転げ落ちましたがかすり傷一つありませんでした。自分は丈夫だなと思いました。
運転をしていた人は20代後半から30代後半、見ようによってはおばちゃんの女の人でした。
僕はさわやかに立ち漕ぎをしていて出会い頭の車に気付いたので自転車の後輪だけの激突ですみましたが、これが子供だったら大怪我をしていたことでしょう。
女の人は車の窓を開けお墓にお祈りするように両手を合わせて謝っていましたが、車から降りてこようとしませんでした。
礼儀を知らないなと思いちょっとムカっときましたが、怒ってもしょうがないので、集まってきた野次馬に聞こえるような大きな声でさわやかに、
「ちゃんと気をつけて運転してくださいよ!僕で良かったですよ。子供なら大怪我をしていますよ!」
そう言って僕はさわやかに自転車を起こしました。なんてさわやかなんでしょう。桜も開花するはずです。そんなさわやかな自分に酔いしれていました。良いことをしたとさえ思いました。
周りには心配そうな野次馬がいましたが、さわやかに大丈夫ですよーという笑顔を180度に振りまいて颯爽と自転車を漕ぎ出したのはいいのですが、自転車の後輪が少し曲がってしまったために真っ直ぐ走れず近くのローソンに突っ込みました。
「大丈夫ですか?」
と野次馬のおばさんとローソンの店員さんが声をかけてくださいました。
「はい大丈夫です!」とさわやかに応えましたが、ほんと大丈夫なの?という表情をしていました。
丈夫には産まれたみたいですが、格好をつけるという機能が産まれつき欠如しているなと思った暖かい日でした。
おばさんの喉頭ガンがお腹の方にも転移してしまい、手術の時にお腹も切らなければいけなくなりました。大きな手術になりそうです。
おばさんのお兄ちゃんは9つ違いの僕の父。
父は口は悪いですが天然の優しさを凝縮して作りましたというような人なので、妹が喉頭ガンになってから心配で眠れないそうで(眠れないということは言わないが)朝の3時には起きて仕事場に行く始末です。
父が先に倒れてしまわないか心配です。
そんな優しさで作られた父がどこで手に入れてきたか分かりませんが、謎の乳白色のジュースを手に入れてきました。
「お前これは凄いぞ。これを飲んでガンが治ったという話しもある。」
何かの宗教に騙されているようですが、父の真剣な目を見ているとそんなことは言えません。
それを早速僕がおばさんに届けました。
それから1週間が経ち…。
父は毎日妹に電話をして「お前、そのジュースは魔法だ。魔法!!飲め。飲むんだ!ばくばく飲め!ガンが治るぞ。飲め!」
妹のおばさんが「飲んでいるよ。でもこれ飲むとお腹がいっぱいになって何も食べられなくなる。」
それを聞いた父が、「治すことが先決だ!飲め!飲め!飲め!!!少しでも良くなった気がするなら。飲め!」
「でも…。」
「お前はバカか!ガンだぞ。ガン。飲め!!!」
その電話のやり取りを側で聞いていた僕に、
「おまえも飲めぇ〜!そこに3本ある!そのジュースは肌にもいい。おまえ肌が弱かったろ?飲め。飲んでみろ。」
横にいた母にも「お前も飲んでみろ!飲め!!!飲むんだ!」
太刀の悪い酔っ払いのように飲め飲めと勧めます。僕はその白っぽい液体が恐く飲んでいないのですが母は少し飲んだらしく、「ドロっとしている」と言っていました。ますます恐い。
母が「そんなに飲め!飲めというのならお父さん飲んでみたら?」と逆に勧めました。
しかし「オレはいいよ。不味そう…。お前が飲めぇ!!ワタルも飲めぇ!!!飲むんだぁ!」
最近父が発する言葉は「飲め!」しか聞いていません。
「マラソン高橋尚子ダメだったね。他の選手には悪いけどやっぱり高橋は別格だよね。オリンピックに出て欲しかったな〜。」とマラソン好きの父に言った所、
「やっぱりタイムか…。それはそうとあのジュース飲んだか?」
この魔法のジュースがおばさんの喉頭ガンに効けばいいな〜と思うのは皆同じ気持ちです。
我が家の愛犬キャビは対人恐怖症なので滅多なことでは人になつきません。
「かわいい〜♪」と綺麗なお姉さんが近寄ってきてもブルブル震え脱糞します。
犬の散歩といえばカワイイお姉さんとの出会いですが、このような犬のために僕は悟りを啓いた僧のような気持ちでお散歩をしています。
対人恐怖症プラス犬嫌いの犬なので人や犬が多い昼間はほとんどお散歩できません。僕とキャビのお散歩は夜に僕がジョギングする時に誰もいない公園で放し飼いにします。
その公園は有名な「ハッテン場」という【真剣ゲイの溜まり場】でたまにおじさんみたいなゲイが野太い声で「あらかわいいわね♪」と近寄ってくるぐらいで他に危険はありません。
夜の公園でキャビは草木の香りを嗅いだりゴミを漁ったり伸び伸びとお散歩をします。たまに孤独で寂しくないのかな。犬の友達とか作ってあげたいなと思いますが、犬嫌いな犬なのでありがた迷惑かも知れません。
そんなキャビが1度だけ知らない人になついたことがありました。
7年ほど前の桜咲く季節、夜の公園でいつものようにキャビをお散歩させているとホームレス風の汚い格好のおじさんが犬に近寄ってきました。メスのキャビは特に男の人が恐いので震えておしっこをもらしてしまいました。
その汚いおじさんは「ごめんよ。」
次ぎの日その汚いおじさんはパンを持ってキャビの前に現れました。キャビを餌で釣ろうと思ったのでしょう。でもキャビは知らない人からの餌は食べません。
汚いおじさんは「どうしてなんだろうね〜。悲しいね〜。」
僕にそういいました。おじさんからは酸っぱい香りがしました。お風呂に入っていないのでしょう。
次ぎの日も酸っぱいおじさんはパンを持って現れました。でもやっぱりキャビはパンを食べません。
次ぎの日も酸っぱいおじさんは「パンが無くてね〜。今日はリンゴの皮だよ。」
やっぱり食べないだろう。そう僕は期待していたのですが、キャビはおじさんの手から恐る恐るリンゴの皮を咥えてムシャムチャと食べ始めました。
その時、初めてキャビの好物はリンゴの皮だということを知りました。
おじさんはとても嬉しそうに「やっと食べてくれた。嬉しい。」
そう言って自転車をこいで帰っていきました。
次ぎの日も次ぎの日もおじさんは毎日キャビの前に現れました。おじさんが来る時間が分かるのかキャビはその時間になると公園の入り口付近を行ったり来りして待つようになりました。
どこから拾って来たのか分からないので餌はあげないで欲しいな〜と思っていましたが、キャビの喜ぶ姿とおじさんの前歯のない笑顔を見ているとそんなことは言えません。
おじさんの自転車が止まると尻尾を千切んばかりに振りながら近寄って嬉しそうにワンワン吠えます。
僕はおじさんといろいろ話したのですが、おじさんについて知っていることは動物好き。むかし相撲取りの付き人をしていて小錦は性格が悪い!しかも小錦は凄い臭いんだ。ということしか知りません。
半年ほどおじさんは毎日現れましたが突然現れなくなりました。
公園の前に自転車が止まるとキャビは尻尾を千切れんばかりにフリながら近寄っていきます。でも近寄って違う人だと分かるとその場で脱糞。
おじさんが来なくなり7年が経ちましたが、キャビは変らずその時間になると公園の入り口を行ったり来りそわそわ。そして違う人に近寄っては脱糞しています。
今日は内緒の話をしたいと思います。
「内緒の話だけど家の美容部員の娘、失恋したのよ。」とおばさんが言った。
その失恋した親戚の子は僕と一回り違う14歳。三つ子の魂100までというがその三つ子の時をよく知っている。「おにいちゃん。なわとびやろ。」「おにいちゃんボール投げ教えて。」
ついこの間までそう言っていた子が失恋したなんて聞いて歳月に流れを感じる。通りでワシもおじさんになった。というか僕は失恋もできない状態で先を越されました。
中学生になってからその子はぐんぐん身長も伸び「美容部員」と言われるぐらいに綺麗にオシャレになった。何がお気に入りなのと聞いたところ
「east boy」というメーカーらしい。そういえばそのメーカーのロゴがついた洋服を着て学校に通っている。
そしてそれに伴い言葉遣いも悪くなった。美味しいということを「うまー」「マジうざいんだけど。」「ありえなくない。」「死んだら?」
「おにいちゃん!おにいちゃん」と呼ばれていた頃が懐かしい。お正月に「UNOしようよ!」と気を使って誘ったところ「マジいってんの?UNO二人じゃできないよ。あとUNOなんてウザイよ。」
いつのまに失恋するぐらいに大きくなってしまったのだろう。お兄ちゃんは悲しいのであります。失恋。その失恋をまず察知したのはその子のお姉ちゃんでした。
「内緒だけど…隣りの妹の部屋から毎日電話で話している声が聞こえたの。先輩すみません。気にしないで結構ですから…。とか言って…。なんだかいつもと言葉遣いが違うの。」
それを聞いたおばさんんが「内緒だけど…。」と言って僕に話した。そして僕も「内緒だけど…」と言っておばあちゃんに話した。
言わずにはいられない。黙っているなんて無理。でも取りあえず「内緒の話なんだけど…」
そしてそのうち我が家では失恋したその子に「内緒の話だけど…。ちみは失恋したのか?大人になったのー。」と言い兼ねないのであります。
我が家では失恋の辛さよりもその失恋を察知した家族の行動の方が辛いのです。だから隠すよりも大っぴらにやる方が後々が楽。僕はその時が来たら世界の中心で愛を叫ぶことにします。
と言ってはみたものの。
月曜日に
cotaさんと浦和まで行ってきました。cotaさんのサイトにマグロカツを食べるcotaさんが写っている写真があるのですが、彼のマグロカツをほお張る表情といいびっくりするほど上手く撮れていますね〜。
それは僕が撮ったものです。
■
僕はおばが世界で2番目に苦手なタイプの人間です。一番はおばの母親に当るばあちゃん。他に苦手な人に会ったことがありません。
おばさんが高騰ガンになったというのは去年の9月と10月の日記に書きました。【
9月高騰】【
10月高騰】
不景気の世の中に吉報です。って違う!!違う!!超絶違います!というぐらいテンションをあげて書かないといけないような状態です。
本人が手術はイヤだと言うので薬で散らしていたのですが、背中まで転移してしまい手術がイヤだなどと言っていられない状態になり翌月の4月に手術することになりました。
去年9月の頃は、まだそれほど深刻ではなく口うるさいおばさんが静かになるかも知れないから良かったと言っていたんですが…。
去年、すぐに手術すれば良かったに…。ということは思っていてもいえません。もう過ぎたことだから…。
今回僕にできることはないかと聞いてみたら「仕事をしてほしい」と言われました。
おばの旦那さんが製本屋を経営していて納品書の管理をおばがしていました。それをやってくれないか。お金のことだから信頼のある人にしか頼めない。
常々おばは「この会社に就職すればいい。」そう言っていました。僕は身内の仕事で給料は貰いたくないので絶対に身内の仕事は引きうけませんでした。特に目の上のたんこぶのようなおば元に就職するなんて持っての他だと…。
でも今回のたんこぶの頼みは引きうけない訳にはいけません。「なにもできませんよ。」とたんこぶ言ったら、「なにもできなくてもいい。取りあえずそこにいればいい。なんなら一生その席(おばが座っていた席)に座っていていい。」
たんこぶは冗談のつもりで言ったのでしょう。いつもなら「僕は競馬で暮すんだから。」
という冗談を言うのですが、今回ばかりは冗談を言えませんでした。そしていつもはおばに「はったおすよ。」と言われていた。僕にも常識があるんだなと思いました。
入院する前におばが手順を教えるからというので今日から手伝いに行きました。その事務所ではたんこぶのおばさんと二人っきりで息が詰りそうに。
「うるさいおばさんで小さな頃からわたるには迷惑をかけたね〜。ワタルは膝ぐらいの大きさだったのにいつのまにかこんなに大きくなっちゃって。うんうんよく抱っこしたんだ。歳月が経つのは早いね〜。」
「27歳の今でも膝ぐらいの大きさだったら困るよ。」
「そうね〜。」とおばさんはいいました。
知人のヨシヨシさん31歳から東京の高級フレンチレストラン、クレッセントのシェフ・パテシエとして腕を振るっていたタダシ ヤナギさんのお店「YANAGI」のケーキを誕生日プレゼントで頂きました。
知人によるとタダシ ヤナギさんはパティシエのコンクールで世界第3位になっているそうです。余談ですが僕の父親もタダシという名前です。
僕が食べたケーキはピーナッツかココナッツだか忘れましたが豆の味がしました。そのケーキの味は旦那さんから1歩引いて歩くしかし控え目ながらも主張ある古き良き時代の奥さんのような味のケーキでした。
渋谷の西武デパートでも火曜日に売っているそうですが、タルト類は本店だけでしか味わえないそうです。売りきれることもしばしば。ケーキ購入の際はお早めに。
【*パティスリー タダシ ヤナギ Tadashi YANAGI 神奈川県海老名市国分寺台1−5−2】
ケーキは3つ頂いたのですがもう一つ食べようとした所「美味しかった」と母が食べてしまった後でした。僕は育ちが良いのか好きなものは最後に食べます。とって置きは取って置く。本当はそのケーキが食べたかったのに…。こうして僕は人として強くなるのでした(こんなケーキの感想でいいのかいな)
【追記:調べたら海老名駅前の丸井にもテイクアウトのショップがあるそうです。】
どこからどこまで分け目なのか分からない坂口厚生労働大臣が、皆さんの質問が牛やら鶏ばかりだったために、いささかうんざりした気持ちで「牛やら鶏やらモウ、ケッコウです。」といったことがこんな時に不謹慎だと問題になっているそうです。
【LINK】たしかにギャグとダジャレは時と場所を選ばないと大変なことになってしまいます。こう発言したらどうなるなど相手の気持ちを考えることも重要です。
僕も中学1年生の時、坂口厚生チックな理科の先生が「なんでも質問していいぞ。」と仰ったので「先生の頭の辺りはなぜ光っているんですか?」
教室が笑いをこらえる生徒、思わず笑ってしまったのを後悔している子、そしてむっとしている理科の先生。それらが科学反応を起こし異様な雰囲気になったことがありました。
放課後僕はなぜかグランドを10週走らされました。中間テストで95点を取りました。成績が10段階中4でした。言葉は選ぶべきだと思いました。ギャグ語が通じない国にきてしまいました。
また知人に子供が産まれた時に「22年後、合コンしてね券」を自作して定期入れに入れてプレゼントしました。奥さんと奥さんのお母さんとは初対面でむっとされました。その定期入れは今は旦那さんが使用しているとのことです。
このようにギャグの恐ろしさを身を持って体験しています。でも僕が小さい頃からギャグの布教活動をしていたお陰でそのような席でもギャグをいうということを知人は分かっているので、最近は大目に見てくれます。持つべきものは友達。
みなさん坂口厚生労働大臣も大目に見てやってください。髪形を見てください。存在事体がギャグですよ。たぶん彼も「牛やら鶏やらモウ、ケッコウです。」というギャグを遠足に行く前の日に寝つけない小学生のような心境で考えていたと思われます。
これ言ったらウケルだろうな〜。ヒーローかな?明日の一面飾っちゃうかな?
しかしこのような事体になってしまいました。恋は盲目といいますが、ギャグは盲目ともいいます。こう言ったらどうなるとかまったく見えていない。ウケルこと成功しか頭にない。政治家としては不治の病です。
有名なギャグのほとんどが考えて産まれたものではないそうです。思わずでた言葉。突発的に産まれたもの。それがいつのまにか輝きを放つ。
今回の坂口厚生労働大臣のように考えて産まれたギャグほどだめなものはない。笑えないギャグだった。でも僕は彼のギャグをひらめいた瞬間の表情を想像して笑ってしまいました。
彼はかれなりにトイレで踏ん張りながら考えたのでしょうね。にやけながら踏ん張る坂口厚生労働大臣。見えない努力が見えたとき…そう考えると悲しい人ですね。あ、自分もか。でもギャグを披露する場があるだけでも彼は幸せでした(過去形)
弟が「キャビのこぶが無くなっている。」と言った。
我が家の愛犬キャビの背中にはピンポン球ぐらいの大きさのコブがあった。それを病院に行って取り除いたがまたコブができたという話は前にも書いた。【
LINK】
その後コブは日に日に大きくなりピンポン球から野球ボールぐらいの大きさに成長した。
コブには害がないと分かっていたので「あ、また大きくなっているよ。」そう言って毎日触ってはコブの成長を確かめて楽しんでいた。
最近「キャビこっちへおいで。」と言ってもなかなか来ない。
呼ぶと逆に人気のない場所に移動するようになった。
父は夕食時にキャビをご指名してコブを触る。僕は本を読みながらつねにコブをさする。弟は挨拶替わりにコブを触る。母も触る。犬嫌いの祖母だけは「シッ!あっちいけ!」
しかしその成長が楽しみだったコブが突然消えた。キャビの背中をくまなくさすってみたけどコブがない。
父が「こいつ病院に行ったのか?」
「誰も連れて行ってないと思うけど…。っていうか犬が病院に行って【またコブできちゃったんですけど…】とか言わないと思う。」
「そんなこったぁ〜分かってる。」
でもそこにあったはずのコブがないのである。突然消えるものなのだろうか?
家族で「コブはどこ行ったのかな?」と捜索願いを出すような勢いで心配した。
いや、害が無いとはいえコブが無くなったことは喜ばしいことなんだけれども、突然そこにあったものが無くなったので逆に心配になった。
母と弟が「また膨らまないかな?」とお名残惜しそうに言った。それを聞いたキャビは大きなため息を一つついて人気のないトイレの方に歩いていった。
本日は何を隠そう僕の27回目のお誕生日です。もうおじさんです。
祖母に「今日はお前の誕生日だからチーズケーキがいいか?苺の乗っているケーキがいいか?あとお寿司を買ってくる。」
もうお誕生日なんていう年齢じゃない。そう思い…。
「いやいいよ。ケーキは。おばさん(母)が買ってくるって言っていたし…。」
「そういうこと言うんじゃない。こういうのは気持ちだよ。」
祖母は究極のせっかちなので頭に浮かんだことは即行動。また相手がそれに対して即反応してくれないと怒ります。
12年ほど前の僕の誕生日に祖母が1キロのブロックのヒレステーキを焼いてくれました。当然みんなで食べるんだろうなと思ったら、「お前だけ食べなさい。」
「こんなに食えないよ〜。」というと横にいた親戚のおばさんが「こういう時は素直に受け取るもの」
ちょっとでもおばあちゃんが買ってきた食べ物を残すと「お前をそういう子に育てた憶えはない。」
そう言われるのは分かっているので必死になって食べました。1キロのステーキを食べきった頃には、鼻から挽き肉になって出てきそうでした。
ダイエットは辛いとよくいいますが、無理して食べることの方が辛いと初めて分かりました。
「美味しかった?」と聞かれるんですが、無理して食べて美味しいも何もない。
でも不味いとは言えないからこういう時はただニコニコしているしかない。
我が家で僕は無口で控え目な子ということになっています。
「あらこの子は美味しかったからニコニコして。でもそれほど美味しくなかったわ〜。」
みんな死んじゃえ!
「ケーキ買ってきたから食べなさい。」祖母がケーキを買ってきたようです。「あとでいいよ。」「できたてだから今すぐ食べなさい。」
ケーキにできたて?とは言えません。しかもケーキ3つ食べろと…。
子供の頃言われるが間々に食べていたせいか体重が一時110キロになりました。祖母は孫を関取にでもしたかったのでしょうか。
現在は知恵も付き食べたふりをして隠す、または犬のキャビにそっとあげるなどの行為を憶えて60キロ台後半の体重をなんとか維持しています。祖母がいなければ本当は50キロぐらいなのかも知れません。
祖母がお亡くなりになれば、僕はゲッソリとやせ細ると思います。そこでおばさんに「おばあちゃん死んじゃって…。優しい子だから。こんなに痩せて…。」
そう言われるのは目に見えています。恐い家です。