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2004年04月30日(金)12:33

部屋を掃除していたら押入れから、カセットテープが大量に出てきた。

何が入っているんだろうと思って聞いてみたら、「それ違うよ〜!お父さんまたウソ言っている」僕の子供の頃の甲高い声が入っていた。

もう一つのテープを聞いてみると僕がエルトン・ジョンのクロコダイルロックを歌っている声が入っていて赤面した。

中学1年生の時。クロコダイルロックが好きで耳コピしたんだ。それにしても音痴で恥ずかしくなった。

「クロコダイルロック!あ〜あ〜♪や〜やや〜♪オオキャロル〜♪〜リトルダリーン〜♪ダイアナ〜♪」

なぜか途中からクロコダイルロックがニール・セデカのオーキャロルになりそれからリトルダーリンになって最後にポールアンカのダイアナになる。

同じような曲とはいえ途中から違う曲になっているのがその後の僕の熱しやすく冷めやすい性格を予告しているようなものだ。

なぜかその後、たまの「今日人類は初めて木星に着いたよ〜!」

と歌っている僕がテープの中にいた。

「ついた!ついたよ!」とコーラスの部分を一人でやっているのが泣ける。

テープからその頃に飼っていた文鳥の鳴き声がかすかに聞こえる。あの頃、文鳥のポンポンは生きていた。

もう一つのテープを聞いているとなぜか小学校の頃、一番仲の良かったくろだ君の声が入っていた。

「まーつだぁーくんあ〜そーぼう。がさがさがさ。うんいいよ。おばあちゃん今日家で遊んで大丈夫?」

「塾があるからね。今日は家で遊べないんじゃないかな。」「塾って4時からでしょ?それまでいい?」「まあえっちゃんが来るまでならいいんじゃないかな。」

「くろだくん4時までなら遊んでいいって。」「おざまします。」「桃太郎伝説やる?クリアーしてよ。」「また僕がクリアーするの。」「いいじゃん。いいじゃん。エンディングだけみたいんだ。」

そうだ。僕は自分でゲームをクリアーしたことがない。全部ゲームが上手なくろだ君にクリアーさせて僕は横でこれがエンディングなの?

翌日小学校で「もうクリアーしちゃったよ。」あたかも自分がクリアーしたかのように話していた。そのずるい性格は今も変っていない。

もう一つのテープに男の人の声で「わたる君。じゃあね。元気で。くまさんのぬいぐるみを大事にね。」

誰だか分からないがくまさんのぬいぐるみには心当りがある。僕が3歳の頃、大切にしていたくまさんのぬいぐるみ。どこに行くにもくまさんを背中に背負って歩いていた。

8歳の時まで持っていたけど、汚いからと母親に捨てられた。僕はもの凄く泣いて喚いた。

あのくまさんのぬいぐるみだ。誰にもらったのか分からなかったが、このテープから聞こえる声の人にもらったらしい。

テープの最後に「わたる君の声のお守りいつもありがとね。オヌマでした。。。。」

僕の声のお守り?オヌマさん?

父に「オヌマさんって知っている?」と聞いてみた。

「オフクロがお世話になった人だ。」

父はそういういい方をしたが僕のおばあちゃんが若い頃、付き合っていた人だとピーンときた。

そしてオヌマさんの顔を思い出そうとするが、くまのぬいぐるみが邪魔をしてオヌマさんが思い出せない。

しかしなんで僕にテープをくれたのか。でもその後オヌマさんと会わなくなったということは何かあったんだろうな。だから最後にテープをくれたのかも知れない。

元気かなオヌマさん。そんなことを思っていたら父が「オヌマさんはガンで亡くなった。お前よく憶えているな。」

「そりゃ〜記憶力だけは天才的にいいから。」

と言ったがオヌマさんとの記憶は殆どない。

小さい頃からの一場面、一場面を大切に記憶して置くんだったと後悔した。

遅いかもしれないけどこれからは記憶を大切にするよオヌマさん。

このテープは僕のお守りにしよう。オヌマさんの声のお守りにしよう。全然知らないおじさんだけど僕にとってこのテープは大切な声のお守りです。

2004年04月29日(木)0:22

上の方にカウンターらしき数字があると思いますが、当サイトがそろそろ10万ヒットを超えます。そこで記念といっては何ですが、10万ヒットした方に夏に向けてビーチや山で輝くきみいてグッツをプレゼントしようと思います。

10万ヒットした方は、その10万ヒットのスクリーンショットをメールで送ってください。

また10万ヒットゲットがいなかった場合、その前後の数字(99999か100001)の方にきみいてグッツをプレゼントしたいと思っています。

夏に間に合うようにきみいてグッツを製作する予定ですのでどしどし10万を狙ってください。

といって誰も応募がない場合は欲しい人にあげます。



丸刈りにしてからというもの、何が悲しいって駅前で配られる美容院のチラシが貰えなくなったことです。

髪の毛があった時は「お願いします。」と言われてもチラシは受け取らなかった。でも急に貰えなくなると悲しい。

配っている人も僕の丸刈りの頭を見て「コイツにあげても。」と言った冷たい感じで見る。今まで「お願いしま〜す。」と言って配っていた手をを引っ込める。

僕の前に歩いている人には「お願いします。」と言って僕だけ言われないとなんというか孤立感がある。

しつこい彼のことが嫌いだったのに彼がいなくなって彼が大切だって分かったの。ってそれとは違いますね。

そして僕が通り過ぎると三度「お願いしま〜す。」「お願いしま〜す。」という声がする。駅の階段を登る僕の孤立感は倍増していく。レッド・ツェッペリンの天国への階段が流れる。

帰りも駅前で美容院のチラシを「お願いしま〜す」と言って配っていた。僕の前にかなりの薄毛の人が歩いていた。

お願いされないんだろうなと思ったら「お願いしま〜す。」と言われた。

世界は優しさで包まれていると思ったが、僕はそれ以下だと思うとどうにもこうにも納得がいかない今日この頃であります。

でも髪が薄い人に美容院のチラシをあげるのもイヤミかな?チラシを配る人に薄毛の人への対応マニュアルがあったりしたらイヤだ。変に気を使うのは毛が抜ける。あ、間違い。



知人の松澤君から久しぶりに電話があって彼は「もう最近はパチンコもやらなくって株にはまってしまいました。この前儲けました。」

彼とはかれこれ10年以上の付き合いですが、株をやるようになるまで成長したかと思うと感無量というか僕は相変わらず競馬でその成長が止まっています。

ひよっこの小さな頃から知っているのでなんで彼が株をという感じです。

松澤君が株を始めたのは、子供の頃ってお父さんが晩酌しているのに憧れて、オレンジジュースを徳利に入れてぐぃっと飲んで酔っ払っていたのが、大人になって本物のお酒に変ったことと同じことかもと思いました。

ってことは僕はずっとオレンジジュースで酔っ払っているということになりますね。成長したいものです。

でも人というものの基礎的な人格は大人になっても変らないような気がします。

オレンジジュースがお酒になったり、パチンコが株になったり、ドンジャラが麻雀になったり、かくれんぼうが浮気になったりするだけだと思うんです。

でも僕が抵抗があるのは、歩きタバコや道にタンを吐いたり、電車でエッチな記事を読んでいる大人らしき人。

僕がもし子供に「大人になるってどういうこと?」というふうなことを聞かれたらこう説明します。

「大人になるというのはね。隠れてエッチな記事を読むことことだよ。むふふふふ。」

というのは教育上良くない応えですね。

大人になるということは、「真面目な時と遊ぶ時の違いが分かるようになることだよ。」というふうに教えたいと思っています。

まあ真夜中は別の顔ってことですね。それもまた違うか。

一番の問題は言っている僕がこの言葉の意味を一向に理解できていないと言うことです。小川選手もびっくり暴走王です。



仕事場で一人でいるとよく営業の人が「こんにちは〜」と突然入ってくる。その殆どの人が美人なお姉さん。といってもたぶん僕より年下だ。

今日も化粧の営業のお姉さんが来たけれどどうも今年から始めましたふうな人で凄く緊張していたみたいなので場を和ますために、

「お姉さんみたいな美人なら良いけれど、こんなに不細工な僕がお化粧して美人になれますかね?もてもてですか?」

ということを言ったら、「はい!それはもう!もてもてですよ!」と緊張した面持ちで言われた。みんな必死なんだなとオベッカを言った自分がいやになった。

しかし営業トークと言えども綺麗なお姉さんにそう言われて恥ずかしがっている自分がもっとイヤだ。

その後、

「すみません。すみません。今担当のものがいないもので。すみません。」と言って謝罪の嵐で営業の人を追い返しました。

攻撃するのは好きだが攻撃されるのには弱い。溶けていなくなりたいぐらいです。



今日は快勝しましたが、巨人が弱いですね。史上最強打線なのは分かるんですが史上最低のリリーフ陣。攻撃は最大の防御とはいいますが、点をとってもとっても取られていく。町金でお金を借りて利子は返してはいるんだけど一向に元金は減らないみたいなそんな状態。堀内監督もどこかの金融会社にいそうな顔っぽいですしね。

でも今の状態の堀内監督の場合は借りている方。人は見た目じゃない。

しかし巨人って阿部捕手もペタジーニ選手とかも顔にインパクトがある。意外と顔面史上最強。



という訳で皆さん楽しいゴールデンウィークをお過ごしください。

2004年04月26日(月)0:15

燃えつき症候群サイトきみいてにようこそ。むかしむかし更新をし過ぎて燃えつきてしまったようです。困りました。

最近僕が何をしていたのかということは皆さん興味がないとは思いますが、そんな感じの日記をだらだらと書きたいと思いましたが、最近物忘れが激しくて、頭がぼぉーとしていて忘れ物が多いのです。いくらボケキャラと言えども困りました。

今はカタルシスいわゆる混沌とした状態なのです。語る死すという状態でもあります。ギャグにキレがなくてすみません。困りました。僕は書くことでしか浄化できないようです。

こういう時は音楽だと思い今日CDを買いました。Charlie Parkerの【BIRD -The Savoy Recordings】という2枚組みのベストと、donald byrdのジャケがトーン・ロックのオシャレなもの(分かる人には分かる説明)、それとベスト・オブ・パーラメント。

チャーリーパーカーを聴いていると彼の奏でるサックスの音が美し過ぎて逆に悲しくなります。困りました。

困った時は自分の過去を見返すのが良いだろうと思いまして過去ログを更新しました。上の【きみいて学習帳】をクリックすれば行けます。お暇ならどうぞ。また今後、暇をみつけてはちょくちょくリニューアル更新していく予定です。宜しくデストロイヤー。心が4の字固めの状態。

今後、我が家が無くなったり、いろいろあるようですが、ホームレスをしてもきみいては一生続けます。こんなどうしようもない人間のサイトですが、たまに見に来て「まだ競馬やっているのか。変らないね。困った人だ。」という感じで見て下されば嬉しいです。

変らないですから。小学校の頃の卒業の写真集を見たんですが。

20m先でも僕って分かるんですが…。15年経った今でも気が抜けた炭酸水のような顔は変わっていません。これはきっとなにかの嫌がらせです。「わたる口開いている!」と皆さんに注意されなくなったのは変りましたが、未だに口を開いているせいかよく喉が渇きよくお茶を飲みます。人はそうそう変らないが環境は変る。注意されなくなったのは悲しむべきことなのでしょうか。困りました。

さて競馬の天皇賞春でも当てるかな。

2004年04月23日(金)8:06

おじの会社のパソコンをADSLに接続しようとしたが、回線がビジネスフォンというものになっていてよく分からなかったのでNTTに問い合わせた。

加入者ご本人様ですか?と言われたので「はいそうです。」とおじさんの変りに問い合わせたのでウソを言った。

対応の女性に、「失礼ですが、お名前は?」と聞かれたので「カワカミマサノブ」とおじさんの名前を言った。

「ご登録されているお名前とは違いますが…。」

てっきり僕はおじさんの名前で登録したのだと思っていたので、「あ、すみません。カワカミ製本です。」「あのカワカミ製本でもないみたいです。」

取りあえず、「登録者の名前を教えてくれませんか?」とご本人と言ったのに聞いてみた。

「すみません。それはお答えできません。」と断られてしまった。

「すみません。出なおしてきます。」と電話を切ろうとした瞬間、登録者の名前を思い出した。

おじさんの死んだ父親だ。「もしかしてカワカミキイチさん?」と応対のお姉さんに聞いてみたところ、「あ、そうです。」と思わず応えるお姉さん。

ということで僕は死んだおじさんの父親になって工事を依頼するべき交渉が始まった。

「電話線がどうなっているのか分からないのです。」と僕が言ったところ、

「ではスプリッターの取りつけだけということで宜しいでしょうか?ADSLモデムはご本人様で取りつけるという形で…。」

「あのお幾らですか?」

「スプリッタの取りつけだけだと4500円ですが、モデムに触っただけで7500円です。」

「どんな手なんですか!?」

僕の応え方が変だったのか、お姉さんが電話の向こうで爆笑し始めた。

「くすくす…触るだけで7500円ですから。ご自分でつけた方がお徳ですよ。くすくすくす…」

「お金はいくらかかってもいいらしいんですけどね〜。僕のお金ではないですし。なんてことを言ったりして。」

「あ〜なら!他にオプションも御座いますよ!」

「あ〜オプション?まあ取りあえずネットが接続できる方向でお願いします。」

「スプリッターを取りつけてADSLモデムを触るという出張工事ということで宜しいですか。」

何だかよく分からない出張工事だけど、モデムを触る方向でお願いした。

なぜかNTTの対応の人と軽く世間話はしたがオプションは恐くて聞けなかった。

例えばオプションは格好いいお兄さんや綺麗なお姉さんなどあったりして。値段が違ったりする。

格好いいお兄さん依頼すればするほど…。

「奥さん!さあADSLモデムをまんべんなく触るよ!」

「奥さん!ちゃんと見て!僕に任しておけば大丈夫。安心して!旦那さんにはバレないように設置しちゃうから!」

最近の気候にやられ気味の僕の脳細胞をまずは工事しようと思いました。

2004年04月20日(火)0:17

僕が物心ついた時からおじさんのことを【ちんちゃん】と呼んでいるが、なぜちんちゃんなのか家族で議論になった。そのちんちゃんも今や51歳会社社長である。

おじさんの名前は【カワカミマサノブさん】と言う。どうしてちんちゃんなのか?

親戚一同、彼の奥さんや娘までもがちんちゃんと呼んでいる。マサノブさんも自分のことを「ちんちゃんだけど…。」と言っている。

ちんちゃんは色が黒く、顔の彫りが深い。六本木を歩いていると「ヘイ!ブラザー!」と黒人に声を掛けられたこともあるぐらいだ。ちょっとモアイ像にも似ている。

しかしそのイメージの何所から「ちんちゃん」になったのか?

僕の父が「おちんちんかな?どう考えてもおちんちんからきたとしか思えないぞ!」と言い出した。「わたるオモイダセ!」と家族に叱咤された。

僕はなぜかちんちゃんのおちんちんを思い出さなければいけなくなった。

そういえば僕が子供の頃、男同士みんな一緒に一つの洋式便所に向かって同時におしっこをしていた。僕の父が「おしっこにいくぞ!」というと皆一斉にトイレに向かう。

父が便器の中央に仁王立ちしておちんちんを出す。

ちんちゃんがサイドで僕が反対側のサイドでおちんちんを出す。便器に届かない弟が僕の肩につかまり横からおちんちんを出して4人同時に一つの便器に向かっておしっこをする。

そこにあったおじさんのおちんちんは、彫りの深いおじさんに似て黒くて大きくて右に曲がっていておしっこがよく右に飛んでいた記憶がある。その頃は父とちんちゃんだけ大人の形をしていた。

だからちんちゃんなのかな?

「いや、そんなおちんちんから名前つけて【ちんちゃん】ってそれはないよ。そんなバカな!」

と言ったけど【おちんちん】からのような気がしてきた。しかしひどいネーミングの由来だ。このことは一生内緒にしておこう。親戚がサイト見ているけど。

2004年04月18日(日)22:44

本日の日記は桂小枝さんふう小ネタ集で。



車内で本を読んでいると反対側の席から聞き捨てならない会話が聞こえてきた。

「カメラマンなんですか?」

「うん、違う。コスプレをやっているんですよ。」

僕は本から目を上げ会話の方に視線を向けた。そこには茶色い澄んだ瞳と自然な栗色の髪が印象的なハーフのような顔立ちのかわいい少女が立っていた。絵に描いたような美少女だ。

コスプレをやっていると言った男性は席に座っている。小太りで長い髪を後ろで縛ね手に下げたビニール袋。偏見かも知れないが絵に描いたような秋葉原系である。

少女が、「へ〜。コスプレですか!私の友達、コスプレで雑誌に載ったことがあるんですよ。」

普通はコスプレをやっていると聞けば、引き潮のように気持ちが引くであろう。でも少女はこの会話に乗り気である。しかもそれが美少女だというのだから世の中はよく分からない?

少女は次ぎの駅で「では私はここで。ありがとうございます。」と降りて行った。

降りた後、横に座っていた品の良さそうなおばあさんが秋葉原系の男性に声をかけた。「お知り合いですか?」

「会ったばかりなんです。彼女、風邪を引いているみたいでティシュをあげたのが縁です。」

縁は異なもの味なもの。この二人が付き合えばいいなと思った。

まずはティシュ。その次ぎは運が必要だが鼻を垂らしている子を見つける。

取りあえずアメリカンエキスプレスカードよりもティシュを忘れずに持ち歩くことが、バブル崩壊後の日本社会では重要なのだと思った。

でもどこぞの教授みたいに手鏡を持ち歩いてはいけない。



4月15日は母の誕生日でした。僕は先週の日曜に母と一緒にデパートに行って「何か欲しいものは?」と誕生日プレゼントをした。

母は洋服が欲しいと言ったので僕は婦人服売り場に母と行った。なぜかその婦人服売り場は下着売り場が多いのである。

僕も一応男性だ。意識しないといえばウソになる。黄色い下着が多いなと横目でちらっと見て思ったり、20代前半であろう女性が下着と選んでいる姿を見た瞬間、唾液が無意味に分泌されたり、そんな自分にがっかりしたり。

30分もいたであろうか。呼吸が止まりそうになった。

僕は母に「早くしてくれよ〜。」と声をかけた。「どっちがいい?」と母が洋服を2着持ってきた。1着は毛沢東が着そうなマオカラーみたいな中華人民共和国みたいなジャケット。

もう1着は、なんでそこにお花畑が?という一年中季節はずれな刺繍がしてあるシャツ。

僕は洋服のセンスだとか分からないがどっちも恐るべきセンスだ。母が「これね〜。どっちも5000円なんだって。」「2着買えば」

早くこの場から立ち去りたかった。

中華風服

家に帰って母が「これ買ってもらった。」と父に見せていた。「おまえなんだそれは。」一年中ももひき&ランニング(穴が開いている)の父に言われていた。僕にしてみれば夫婦どちらも「なんだそれは」である。

父の妹いわく、「昔はかっこう良かったのよ。」

まあここまでは良い。後日、会う親戚、会う親戚から「おまえは偉いな。お母さんにプレゼントしてあげたんだって。」

いきなり僕の株が急上昇していたが…。

「でもワタル。あのセンスの洋服はダメだ。なんだあの中国の腐ったような洋服は。もっとセンスを磨かないとダメだ。」

いつのまにか僕が選んだことになっていた。自分でちゃんと選べば良かったと後悔しました。

2004年04月15日(木)22:28

おばが退院したので成城にある自宅にお見舞いに行くことにした。お見舞いのプレゼントに何を持っていくか悩んだ。当初ケーキを持っていこうと思ったが、駅のホームで突然ひらめいた。

そういえば入院前に退院したら僕の家の近くの釜飯店に皆で行きたいと言っていた。おばはそこの釜飯店の【おでん】が好物なのだ。

僕はすぐさま踵を返し駅のホームを出て釜飯店へとダッシュした。初恋のきた道の少女のような走り方、いやその少女のような熱い気持ち。それプラス27歳にもなって無駄に50mを6秒台で走る健脚を駆使して駅から片道3キロある釜飯店へと急いだ。

お昼はやっていないかも知れないという不安が過ったが、釜飯店は営業をしていた。「おでんを持っていきたいのですが…。」と言った所、おでんはお持ち帰りできないらしい。しかし釜飯でもおばは喜んでくれるだろう。

僕はなぜか釜飯店の店員さんに「すみません。」と陳謝した。その熱意が伝わったのだろうか。おじさんが「すぐ作るから!」

冷凍食品ではないかと思うほどの早さ。ものの5分もしないうちに釜飯が出来上がった。

この世は良い人ばかりだなと思った。

おばの家までは1時間かかる。僕は温かいうちにと思い新タケノコ・五目・特製、3つの釜飯を持って駅へと急いだ。電車に乗った。

電車のガラス越しにいる僕は満足して写っている。

もしかして僕はこのプレゼントをするという行為を自己満足のためにしているのではないかと。おばは手術後ということもあって食が細い。ケーキを買っていった方がみんなで食べられるし喜んだのではないかと。

プレゼントをするという行為は自分の気持ちを満たすためではないかと。これこそ自己愛だ。

喉に手術のアトがあるおばは、「ワタルは憶えていてくれたんだ…。びっくり。まだ温かい。これ食べて元気だすわ!ありがとう…。」

満面の笑顔で僕は「電車がいつもより飛ばしてくれたし、暖かいのは天気が良いからだよ。なんてね!でも良かった!えへへ!!」

自分で言うのも何だかすごく良い話しだ。僕はすごく男前だ。なんでこんなに優しい男に彼女の一人や二人、いや三人ぐらいできないのか不思議でならない。

ということを思いたかった…。思わせて欲しかった。

しかし現実は違った。

釜飯を食べるおばと祖母の会話…。

「ねぇ〜。せっかく買ってきたのに悪いんだけどぉー。味が落ちたかもね〜。今度はワタルの家の近くのアリランの焼肉がいいわ。」

この毒舌を聞いて戻ってきたよ〜と安心した反面、僕の心に別の味の涙が流れた。さあ〜てと、未来はもっともっとしゅっぱいぞぉ!

2004年04月11日(日)20:22

父と母が結婚して僕が2歳になるまで住んでいたボロアパートが取り壊されていた。

父に「あのボロアパート取り壊されていた。」と話したところ「昔は新築だったんだぞぉ!」とオレだって昔は凄かったんだ的なことを言われた。

取り壊されているアパートを見て写真だけの記憶しかないが、なんとも言えない気持ちになった。

僕がその後住んだ家は祖母の住んでいる古い平屋の家を増築したものだった。増築当初は新しいこともあり壁にシールを貼ったり汚すことは禁止だったが、そのうち柱には僕の身長が刻まれ、弟の身長が刻まれ、なぜか親戚の当時32歳のおじさんの身長も刻まれていた。父の身長もあったが日付が経つにつれなぜか縮んでいた。

みんなでご飯を食べる和室の部屋の壁には「ビデオほしいな〜」と書かれていた。父に「男は欲しいものをそう簡単に口に出してはいけない」そう言われていたので壁に油性マジックで大きく【ビデオほしいな〜】と書いた。それを見て父が当時高価だったビデオデッキを買ってくれた。でも落書きはそのままだった。

家には昼夜問わず沢山の人が出入りしていた。昼はおばが自宅の一番大きな8畳を使い塾をやっていて夜は祖母が家に隣接されている【ソナール】でスナックをやっていて1日中人が出入りしていた。

夜になるとスナックソナールに行って「ばあちゃんおやすみなさい!」と大きな声で挨拶をする。そうすると「坊主!良い子だ!ほらお小遣い。」

お酒を飲んでいて気が大きくなっているのか飲みに来ているおじさんは大抵1万円をくれた。

小学校3年生の僕は1万円をほぼ毎日貰っていた。月収が手取り15万円を超えたこともある。ファミコンのカセットを毎日買っていた全盛期だった。

家の裏には人気のない駐車場があって、小学4年生の時にそこで塾に来ていた一つ年上の彩ちゃんに強引にキッスをしようとしたら、強引にパンツを降ろされて泣いて家に逃げ帰ったこともある。

思いでというものが詰っていたその家を出なくてはいけないことになった。なんで出なければいけなくなったのか記憶にない。親戚もみんな集まった家だったがみんなバラバラになった。

引っ越した後も誰もいないその家に学校帰りに寄った。時々ジュースの空き缶が置いてあった。僕の他に誰かここに来ているのか。少し経って分かったが弟もたまにこの家に来ていたらしい。

3ヶ月も経つと雑草が生い茂り廃墟のようになった。しかし庭に置いてある1輪車もそのまま、死んだ文鳥のお墓もそのままだったしここで遊んだ思いでだけが僕の中で膨らんでいった。

またここに戻ってきたいと思った。絶対に戻ってくる。その頃には自分の家族もいるだろう。部屋を作らなければならない。いや家を建て替えよう。設計図や間取り図を書いたこともあった。

自分の部屋にはお風呂をつけて簡易キッチンもつけて…。部屋の中に家があるような部屋になった。皆が住めるように設計図を書いたら25LDKになった。

そろそろ取り壊されると聞いてから家には近づかなくなった。今住んでいる家から10分歩いて陸橋を渡ればすぐなのに、取り壊されると聞いてから6年は近づかなかった。新しい思い出を極力作りたくないと思ったこともある。

ふと20歳の時に陸橋を渡って昔住んでいた場所を通った。駐車場になっていた。アスファルトの隙間の土からたんぽぽが1輪生えていた。そういえば家の前の道にたんぽぽが沢山生えていて、そのたんぽぽを吹くのが好きだったな…。

あれほど帰ってきたいと思っていたのに…。この場所に戻ってきたい帰りたいとは思わなかった。何も感じない自分に悲しくなるほど何も感じなかった。

いなくなってしまった人もいる。無くなってしまった庭にあった沈丁花。あの壁もあの縁側もあの空も。あのおばさんに怒られた八畳も。犬のアルも。文鳥のポンポンも。もう元に戻すことはできない。

でもあの頃の思い出は壊れないで僕の中にある。それでいいんだと。

2004年04月08日(木)18:28

可愛くてみんなのオモチャになっています。

エツコおばさんのガンの手術は4時間に渡りましたが成功しました。

手術の前にみんなで神社に行って手術が成功するようにお祈りをしてきました。

姪っ子の4歳のアラヒちゃんに10円のお賽銭をあげました。手を合わせて祈っています。

「アラヒは何を祈ったの?」

「エツコのしゅじゅちゅがセイコーするように。」

アラヒが「ねぇ〜もう10円ちょうだい。」

お賽銭箱にもう一度10円を入れてもう一度手を合わせて祈っていました。

「今度は何を祈ったの?」

「ママがアラヒを叱らないように。」

このお祈りも叶うといいな〜と思いました。

2004年04月08日(木)1:34

さみしいのー?メールの件名で「さみしいの?」返信する時も「さみしいの?」電話で出るときも、もしもしの変わりに「さみしいの?」最近これがマイブームです。

原宿という若者の街を歩いていたら黒人さんがジャパニーズガールに「さみしいのー?」と声を掛けていました。いわゆるナンパというやつです。

女の子はなれた口調で「さみしくない」と応えていました。

ナンパの掛け声はいろいろあります。例えば「暇?」「お茶しない?」などは定番だと思いますが、これでは女の子は立ち止まってくれません。そこで彼らはいろいろ考える。

「愛を安く売っているんだけどいらない?」「あ!みっけ!」

「助けてください。愛が足りないんです。愛のカラータイマーがぁ〜〜!3分以内!3分以内!」

「はぁ〜い今日の一番の美人発見!!」「運命の赤い糸見っけ」

このワザを使っていたのは知人です。それに携帯電話を目当ての子の前でわざと落としたり…。

一番笑ったのが、どこかで見たことあるなと思ったら小学校の時に「鼻をほじるな」と先生によく注意されていた三浦君がナンパ待ちをしていたことです。ナンパ待ちをしている彼は変らず鼻をほじっていました。

「さみしいの?」

これを聞いた僕はとっさに使えると思いました。

走りたくなることも無きにしも有らずですが、別に僕がナンパなどという難破行為に走る訳ではなく、人というものは支えあって生きている。

結局はみんな寂しい。でも寂しいなんて言えない強がりさんが多いと勝手に思うんです。

それで僕が取りあえず「さみしいの?」と聞いてあげることによって広がる愛情。優しさ100%の言葉です。

さあ皆で「さみしいの?」と使ってみましょう。家に帰ったお父さんがただいまの変りに「さみしいの?」電話でもしもしの変わりに「さみしいの?」メールの返信も「さみしいの?」

でもこの「さみしいの?」一番寂しいのは「さみしいの?」と問いかけている自分だと言うことをお忘れなく。

2004年04月05日(月)14:58

信号で止まっている時に激写。

運転をしていたら前の軽トラックに自転車やら冷蔵庫やらが積んであった。車のナンバープレートに目をやると【長野】と書いてある。

推測するに、新入社員か新入生が上京するのにたいし親が車に引越しの荷物を乗せて…。

親が子を送り出す時の気持ちというのはどういうものなのだろうか?離れて気付くこともある。我が家みたいにずっと一緒に住んでいると気付かないこともあるのだろう。

ときどき子を思う親の気持ちのことを漠然と考える。そういうことを考えるのが酒の肴で好きなのだ。お酒は飲めないけれど。

いつまでも子供だと思って手を貸す。でもその親の手を自分で出きるようになった子供はわずわらしいと思う。親の手をうっとおしいと思う。

父とよく手の大きさを比べたことがあった。父の手は大きかった。でもいつのまのか僕の方が大きくなった…。

というのが詩的かも知れないけれど僕の手は今でも女の人よりも小さい。

しかも僕の足のサイズは24.5cmしかない。横に広いため25cmの靴を頑張って履いている。

小さな頃僕はやたらめったら大きな靴を履きたかった。自分の足は大きいんだと錯覚していた。

「上履きがもう小さくなったから」「この前買ったばかりじゃない。」「足が大きくなったんだ。」

実際には大きくなっていない。でも大きな大きな靴が履きたかった。

小学校4年生の時には学年で一番大きな25cmの上履きを履いていた。実際には22cmもなかった。

サイズの合っていないパカパカな上履きを履いている僕を見て先生が「まつだ上履きをちゃんと履け。」「この上履き小さいんですよ。」

そんな僕の靴のサイズの錯覚は順調に育ち小学校6年生の時に27.5cmになっていた。もちろん学校で一番大きな上履き。

「まつだは足が大きいな。」「おまえ足が大きくなったな。」そう大人達に言われると嬉しかった。

そんなことを思い出して父や母や祖母や叔母が「いつも運動会で走ると靴が脱げて。なんであんな大きい靴を履きたかったんだ?」

と聞かれるが僕にもなぜ大きな靴を履いていたのかよく分からないが取りあえずこう応える。

「大きめなサイズを買っておけば長く履けると思ったから。」

今、僕の足のサイズは24.5cmだ。そろそろ大きくなるだろう。そう思って大きめのサイズを買おうと思うが、お金が勿体無いからサイズが合った靴を我慢して履いている。

2004年04月01日(木)18:25

桜は散るが祖母散らず知らず。

朝起きたら野球好きなおばあちゃんが、「どこの席にいたんだい?」

と昨日のヤンキースの試合の録画ビデオの観客席が映っている部分を何度も巻き戻していました。

「青っぽい服を着て行ったからこれずらか?」

僕は青っぽい服なんて着てヤンキースの試合を見に行っていません。さすがにボケてきたのでしょうか。

と思ったら、何時の間にかその後に録画したサッカー日本代表の試合が映っていました。ほとんど青です。

「ばあちゃん。それサッカーだよ。」「知っているよ。ワタルを試してみたんだ。」

僕がボケそうです。

良かったね本当によかったね〜。

松井がホームラン打ってもう私は死んでもいいねと自分のことのように喜んでいました。

ちなみに我が家族や親戚で風邪を含む病気をしたこともなく一番健康なのが祖母79歳です。病院には50年、出産の時以来行っていないそうです。

なにかに挑戦しているのかと思うぐらい病院嫌いです。

3年ほど前に自動車のドアを自分で閉めてドアにおもいっきり自分の脚を挟んで脚を悪くしたのが唯一の年よりの冷や水というか温水というか病気といえば病気。その脚も気合で完治してしまいました。

79歳の今でも1日1箱のタバコを欠かさず部屋は雀荘に負けず劣らず煙が立ち込め、ステーキはサーロイン(国産限定)が好きでファミリーレストランの店員さんに「これ国産ですか?」と聞いて国産でないと食べない(注文する前に聞くべきだ)

うなぎなど脂っこいものが大好きで、競馬に妙に詳しくて外れると僕にあたって「お前がいいって言ったから」そんなこと一言も言っていない…。

人の噂や悪口が大好きで「おのバカがぁ〜…ワタルもそう思うだろ?」と僕に相づちを求められても…。

嫁さんの母を「あれは寝て食べてばっかりだから。」まあたしかに寝て食べるのが特技の母です。でも母の一番の特技は人の言うことは右から左に抜けていくこと。そんな母も健康。

長生きする秘訣は好きなことを好きなようにする(好きなだけというよりも)人の話しは自分の悪口意外聞こえないそうすれば長生きするということがよく分かりました。でも周りの家族はたぶん短命です。

長生きの秘訣は?恐ろしくて聞けない。

2004年04月01日(木)1:11

さあクイズです。この選手は誰だ!?

ヤンキーの試合というと不良みたいですが…。

【ヤンキースが一人だったらヤンキーになるのか?昔の不良はいつも一人。カブスはカブ?バイクかいな。NBAのブルズは一人ぼっちだったらブル?ジャイアンツはジャイアンが二人という意味だったらナイス】

【ちなみにテレビの表示がヤになっているとどうもヤクルトに見える。】

前置きが長くなりましたが、ヤンキースの日本開幕戦のチケットを母が僕の名前【松田弥】と書いてハガキを投函して当てました。

僕の名前を無断で使ったとはいえ母が当てたので父と母で見に行ってくればいいと思い、そう言ったのですが「私は家でお煎餅食べていた方がいい」

父は「オレは野球は嫌いだ。」というので名前的にお近くの松尾さんをお誘いして見に行って来ました。

メジャーリーグの試合ということもありましてかなりの数の警官が警備にあたっていました。

ドームに入場する際には金属探知機を用いてボディーチェックを行っていました。

ポケットに鍵を入れていただけなんですが、僕らしく確りと金属探知機が鳴ってしまい焦りました。顔の作りが和風(馬型)で良かったとこの時ばかりは思いました。

テロには顔面探知機が一番効果的かも知れません。

試合は我らマツオーラのお陰か松井選手がホームランを打ち僕としては松井選手が100%幸せなら70%満足して観戦しました。

なぜ100%ではないかと申しますと…。大リーグの試合では7回に「私を野球に連れてって」を歌うそうで、英語が苦手な僕が近所迷惑も顧みず

【て〜くみアウトとぅーざぼーゲーム〜♪】

又、叔母さんには「ワタルは子供みたい。でもその発音はなっていない。」と真とを得たことを言われながらも練習をしたのですが、なんと7回になっても歌わないではないですか。努力が水の泡に…。

だけど歌わなくて良かったような気もします。

帰って母がテレビで野球を見ていたらしく「松井!!!松井!!!ホームラン打ったでしょ!!凄かった!良かった。」と松井選手のバットスイングを真似して僕以上に興奮していました。

食卓の上に今朝7つ置いてあったお煎餅が1つしか残っていなかった所を見ると母は当初の「お煎餅を食べる」という目標を達成したのでしょう。そりゃ〜興奮もする。

目標を達成するといえば松井選手が大活躍、松尾さんがお仕事で遅れそうでも間に合ったり「私を野球に連れてって」をいつ歌うのか待ったりマツマツ尽くしの野球観戦で楽しめました。
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Akiary v.0.61