犬のキャビが死んで半年が経とうとしています。忘れている訳ではありませんが、記憶の中いるキャビも月日とともに色が薄くなっているようです。
たけど実家に行くとまだそこにいるように感じます。
父は日曜日になると、キャビの毛をクシでとかすのが日課でした。父の朝は早く、午前4時になるとまだ眠っているキャビを起こして散歩に出かけます。
そして抜ける毛がなくなるほどキャビはクシでとかされます。日曜日に実家に行くとキャビが小さく見えるのは毛が抜け過ぎたせいだと最近分かりました。
父はクシでとかして抜けたキャビの毛を、公園の横にある図書館の駐車場のフェンスのポールに詰めていました。
本当かな?と思い、帰りに図書館の駐車場のフェンスのポールを見ると、毛がぎっしり詰まっているじゃあ〜りませんか。
ポールの長さは一本約1.5mあります。ありとあらゆるポールにキャビの毛が上から下までぎっしり詰まっています。これだけ詰め込むのに何年かかったんでしょうか。
もうなんだか新興宗教的な。これ知らない人が見たら気持ち悪いだろうな。死んだ犬の毛だらけ。感動するというかスゲェなおい!何だか笑っちゃいました。
横でなぜかETさんが泣いていました。
その後、実家に行って父の言うことは本当だったと言ったら、「オレもまだつまっているか時々確認しに行く。」
キャビの話をしながら実家で食事をしていたら、なんだか口の中に違和感を感じました。
料理を作っている母の毛がサラダに入っていたんじゃないかと思い口から取り出すと、茶色くて、人の毛より細くて、懐かしくて、どこかで見たような毛。
キャビの毛だ。死んで半年経っているのに!キャビの毛だ。この野郎!!
取り出した毛をまた口に戻しました。毛って飲み込もうとしてもなかなか飲み込めない。ご飯を入れて押し込みました。
気持ち悪いかも知れませんが勿体無くて毛を捨てられませんでした。
家に帰りETさんにこのことを話しました。
キャビの血は僕の体に入った!子どもができたらキャビの生まれ変わりだ!
そう言ったらETさんが「うんちで出るんじゃない。」
僕は「じゃあそのうんちを食べればいい。」ということは言えませんでしたが、子どもができたらキャビの生まれ変わりだと思うことにします。
しかしキャビが死んで半年経っているのに、毛があるんなんて母は掃除をしていないなと。ETさんも掃除嫌いですが、掃除嫌いに今回ばかりは感謝しなくてはなりません。