きみいて。略して、君たちが僕が犬。

2021.4.12 Mon.

祖母のお葬式でした。祖母には異常なほど可愛がってもらいました。それを時にはうっとうしく感じていました。
祖母が少々ボケてからは、息子のカンイチロウを見て僕の名前「わたる」と呼んでいました。僕はただの付添のお兄さんでした。こんなこと言ってはなんですが、祖母が死んでも僕は悲しくありません。
祖母が亡くなる一週間前、僕が育った町に家族で初めて行きました。
実家が10年ほど前に破産して無くなってからというもの、その場所には用がなくなり行かなくなりました。
信州産まれの祖母は大学進学のため東京に出てきて19歳で学生結婚して出産。この場所に25歳頃にやってきて、60年この場所に住んでいました。
僕も40年前に遊んだ公園で2人の息子をゴーカートに乗せて、20年前に死んでしまった手乗り文鳥を埋めた桜の木を眺め、当時、飼っていた犬のキャビの毛を入れた柵のポールを探したりしました。キャビの毛を入れたポールには全て蓋がされており、永久保存されたということでしょうか。
鹿沼公園
この場所に行った6日後に祖母は亡くなりました。
火葬する前、お別れの時、一番遠い親戚であろう妻のETさんが号泣していました。なぜお前が泣くんだ。泣けばいいと思っているのは相変わらずです。
最後にみんなで写真を取りました。ETさんが撮影をしてくれました。全員集まるのは30年ぶりぐらいかも知れません。30年前は毎日、一緒に晩ごはんを食べていました。やかましい食卓でした。
horiuchi-makie
ETさんは20年前、ここにある僕の日記を読んで、こんな家族になれたらいいなと思っていたそうです。ズレてますね。馬鹿ですね。ゲスいですね。【ちょっとアサちゃんハマチ】 【ちょっとあさちゃん】
僕の代で家族ごっこはおしまいにしようと思っていたのに、屁のような日記で家族ができる。なにか行動を起こす度、屁ですら気をつけなければなりません。おそろしい屁です。
ということで、血の繋がりは終わりではなくまだまだ続くようで。あー先は長いなあ。

2021.4.7 Wed.

本日、祖母ことおばあちゃんが亡くなりました。96歳でした。この日記にも度々登場していました。
この場所で日記を書き始めた20年前、一緒に桜木町のウインズに馬券を買いに行ったこともありました。
マークシートをずれて塗るため、発売機で何度も修正しました。真ん中辺りを塗っていて「おばあちゃんこれどっち?」
「どっちだったかな?」「じゃあ全部、岡部か的場にしておくよ?」
予想紙は、今は無きダービーニュースを使っていました。僕はエイトを使っていました。いつもおばあちゃんが競馬新聞を駅にあるキヨスクまで買いに行っていました。
キヨスクが競馬新聞を一番早く購入できるからです。たしか金曜日の12時には買えたと思います。キヨスクは構内なので駅員さんにお金を渡して、新聞を買ってきてもらっていたようです。
たまに間違えてエイトではなく、柏木集保の日刊競馬を買ってくるのはご愛嬌でした。おばあちゃん会心の予想は2004年中山金杯だったと思います。1000円持っていたかと。
2004年中山金杯
的中した2分後にはうな重を死ぬほど注文して、こんなにうな重頼んでどうするんだ!と父と喧嘩になっていました。
俺は食わない!と言っていた父もしっかり食べていました。
息子と二人で、荼毘に付す前に会いに行ってきました。生前、曾孫のかんいちろうに何度か会わせることができました。
祖母と息子
祖父と同じ日に亡くなりました。【link
2009/12/30 続、我が家の日本シリーズ。
このあと、しばらくして祖母は老人ホームに入りました。
Akiary v.0.61