祖母のお葬式でした。祖母には異常なほど可愛がってもらいました。それを時にはうっとうしく感じていました。
祖母が少々ボケてからは、息子のカンイチロウを見て僕の名前「わたる」と呼んでいました。僕はただの付添のお兄さんでした。こんなこと言ってはなんですが、祖母が死んでも僕は悲しくありません。
祖母が亡くなる一週間前、僕が育った町に家族で初めて行きました。
実家が10年ほど前に破産して無くなってからというもの、その場所には用がなくなり行かなくなりました。
信州産まれの祖母は大学進学のため東京に出てきて19歳で学生結婚して出産。この場所に25歳頃にやってきて、60年この場所に住んでいました。
僕も40年前に遊んだ公園で2人の息子をゴーカートに乗せて、20年前に死んでしまった
手乗り文鳥を埋めた桜の木を眺め、当時、飼っていた犬の
キャビの毛を入れた柵のポールを探したりしました。キャビの毛を入れたポールには全て蓋がされており、永久保存されたということでしょうか。
この場所に行った6日後に祖母は亡くなりました。
火葬する前、お別れの時、一番遠い親戚であろう妻のETさんが号泣していました。なぜお前が泣くんだ。泣けばいいと思っているのは相変わらずです。
最後にみんなで写真を取りました。ETさんが撮影をしてくれました。全員集まるのは30年ぶりぐらいかも知れません。30年前は毎日、一緒に晩ごはんを食べていました。やかましい食卓でした。
ETさんは20年前、ここにある僕の日記を読んで、こんな家族になれたらいいなと思っていたそうです。ズレてますね。馬鹿ですね。ゲスいですね。
【ちょっとアサちゃんハマチ】 【ちょっとあさちゃん】
僕の代で家族ごっこはおしまいにしようと思っていたのに、屁のような日記で家族ができる。なにか行動を起こす度、屁ですら気をつけなければなりません。おそろしい屁です。
ということで、血の繋がりは終わりではなくまだまだ続くようで。あー先は長いなあ。